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2019年6月 7日 (金)

聖霊のたまものはすぐそばに

神は言われる。

終わりの時に、

わたしの霊をすべての人に注ぐ。

すると、あなたたちの息子や娘は預言し、

若者は幻を見、老人は夢を見る。

わたしの僕やはしためにも、

そのときには、わたしは霊を注ぐ。

すると、彼らは預言する。

上では、天に不思議な業(わざ)を、

下では、地にしるしを示そう。

血と火と立ちこめる煙が、それだ。

主の偉大な輝かしい日が来る前に、

太陽は暗くなり、

月は血のように赤くなる。

主の名を呼び求める者は皆、救われる。

(使徒言行録2:17~21)

 

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

 

O0314045913952747842 「聖霊のたまもの」というと、「異言を聴き、話す」、「病いや障害の治癒」、「自分の願いが叶うこと」などをついイメージしがちです。


また、天変地異のような壮大な変化をイメージする方もいるでしょう。

わたしたちが日々の生活を主にこころから捧げたいと思っているなら、聖霊のみ働きはいつもわたしたちとともにあります。

 

ささいなことでも、ありがたいと思えたこと。誰かの良さを見出せたこと。どうしてもゆるせない相手を、ゆるせるようになったこと。

 

小さなことですが、聖霊のみ働きはわたしたちの心とたましいに新しい風をもたらします。

 

自分の気持ちが変われば、相手の気持ちがかわることだってあります。小さな聖霊のみ働きの積み重ねが、日々を重ねるにつれ、目に見える変化をもたらすことでしょう。

 

ささいな積み重ねは、目に見えない小さなことです。使徒パウロが感じたような、歴史的に特別な価値のあることがらが起きることはないでしょう。

 

使徒パウロは、イエズスに出会うまえは「漁師サウロ」でした。

当時のユダヤ人は、一兵卒でもやさしいコトバが読み書きはできたようだと、遺構は伝えます。漁師サウロも、おそらくカンタンな読み書きはできたかも知れません。

そんな素朴で、おそらく気性の激しい漁師だったと思われるサウロが、イエズスとの出会いによって使徒パウロに変えられたのです。

 

そんなパウロに対するイエズスの教えは、特別に難しいものではありませんでした。イエズスが病めるひとを癒やし、パウロに信仰と祈りで病いを癒す経験を積ませました。

 

そしてイエズスは、福音宣教の旅の日々をどのように送るかをパウロや他の弟子たちと共に居て、教えられました。

 

旧約聖書の時代の「十戒」と「ゆるしといつくしみの教え」を、「主の祈り」や「山上の説教」などでお教えになりました。

 

使徒パウロがイエズスから受けた教えは、聖霊のたまものにより「復活されたイエス・キリストの教え」に徐々になっていきました。

 

そう、一足飛びにある日突然、漁師サウロが教会共同体の隅の親石となる使徒パウロになったわけではないのです。

 

わたしは個人的に、イエズスが十字架につけられ、死して葬られたのち、一介の漁師に戻ろうとした使徒パウロの「分相応の生き方」を選ぶ場面が好きです。

 

冒頭の聖句にある「終わりの日に…」のみことばの重みからは考えられないほど、「元漁師サウロ」は弱くて貧しい人間である自分をよく知っていたのです。

 

自分を知ることは、やさしいことのようで難しいです。「なりたい自分なのか」、「自分に合った道を探して、自分を見つけるのか」という意志の問題もあります。

 

「ほんとうになりたい自分に出会う」キッカケやチャンスもあります。なぜか、キッカケやチャンスとは必ずしも幸運な人が幸運と出会う…というものでもないようです。

 

不運に嘆いてもどうにもならないほどになった時、はじめて自分の道に出会うことだってあるのです。

 

使徒パウロは、まさに「不運を嘆いても、後戻りできない」と思ったとき、ご復活のイエズスに出会ったのです。

 

聖霊のたまものは、主のみ旨があって、主がくださるのであればいただけるものです。

ただ「戸を叩けば開けてもらえる」というものではありません。でも、「主の戸を叩き続けること」も大切です。

 

主の戸を叩き続けるには、1日にほんの数分でもいいので祈り、父と子と聖霊のまじわりに思いを馳せることです。

 

それがあなたの望む救いなのかどうか、わたしたち人間にはわかりません。主のくださるものは、どれほど苦くとも善いものだと信じていれば、主の望まれる実を結ぶ日がくると、わたしたちが信じていなければなりません。

 

聖霊のたまものは、どこか空のかなたの天国のものではなく、わたしたちの日々の生活の中にあります。

 

どんな辛い日であっても、読者のみなさんがそれぞれの主のたまもののありがたさに気づくみ恵みがありますように。

 

2019年6月9日は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)の大祝日です。どうぞ、お近くのカトリック教会のミサにおいでください。

 

 

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

 

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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