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2019年5月14日 (火)

労働者を守る聖ヨセフ

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聖ヨセフよ、あなたは神によって、マリアの夫に、そして主イエスの養父に選ばれました。
あなたは正しく、清らかな心で、賢明にイエスとマリアを保護しました。
わたしもあなたにならい、人々と互いに助け合って、明るい環境をとくるように努めます。
困難にあうとき、神の摂理に信頼し、死を迎えるとき、よい終わりを遂げることができるように、わたしを助けてください、アーメン。
(カトリック祈祷書《祈りの友》より)

 

お元気ですか。しぇるりんです。

 

ここ数年のあいだに、日本の労働環境は悪化の一途をたどっています。ほんの数年まえまで、「ブラック企業」は「ブラック企業大賞」のランキングに選ばれるような特殊なジャンルにあると思われていました。

 

いまや、「労働環境が極端にブラックであること」はあたり前になってしまいました。多くの正規雇用の方々は、残業手当のもらえない時間外労働をよぎなくされています。

 

非正規雇用なのに、平成→令和の10連休で「非正規雇用で、収入がないのにバイト禁止」の会社があったとも聞きました。

 

以前から、いわゆる「相対的貧困による欠食児童・生徒」のための「子ども食堂」というボランティア活動があります。

今回の10連休で非正規雇用者が相対的な飢餓におちいらないよう、「大人食堂」という活動もあったと聞きます。

 

これらの市民活動の多くは、貧しさや飢餓の苦しみを他人ごととは思えない人々の善意で支えられています。

 

しかし、市民活動を行う善意のひとのはたらく場、収入もへりつつあり、善意だけで支え合うには限度があります。

 

5月1日のメーデーを、カトリック教会では労働者の守り手、聖ヨセフにささげています。

 

ざんねんなのは、日本ではブラック労働の苛酷さを市民デモや抗議活動、一斉スト(ゼネスト)などの行動で示すことが、あたかも反社会的な行為であるかのごとくさっ覚されていることです。

 

平和的な市民デモ、抗議活動やゼネストは、企業や国家、関係省庁に対して、人間らしい生活を送れないでいる現状を訴えるための手段です。

 

デモや抗議活動、ゼネストは平和的な行動をとおして、社会格差を是正を求めるために行います。ざんねんなことに、わたしたちはみな、「ちがう人」に共感をおぼえるのではなく、恐怖まじりの違和感を感じがちだからです。

それは、権力者として振るまっている人が、市民や庶民に対しても同じような恐怖の感情をいだくからかも知れません。

労働者が声をあげるストライキは、市民と国家、労働者と企業が資質や立場の違いを自覚しつつ、「最低限の人間らしい生活」を送れるよう支え合うための手段だと海外では考えられています。

 

その点、日本では「隷属すること。楯突かないこと。逆らわないこと」を強調しすぎるあまり、権力者も、底辺の市民も、その中間にいる大ぜいの人々も、不必要な緘黙をつづけることで、人間らしさを失いかけているように見うけられます。

 

社会の底辺にいる人びとが人間らしさを生きることができなくなったとき、権力者もまた人間として扱われなくなります。

 

世に「権力とカネで買えないものなど、人生の1~2割しかない」と権力者やお金持ちはいいます。

しかし、権力とおカネで買えないものには、誠意、主なる神、イエスの愛といつくしみから来る善、希望、青空や太陽の輝きを美しいと感じる心、何の報いも求めない思いやりなどがあります。

 

「権力は、結果として悪へのいざないとなる。権力を持ったまま、悪への誘惑に負けないことはむずかしい」と、アメリカの心理学者はいいました。お金で買えない1~2割の目に見えないなにかを、お金をもったままにぎりしめているには相応以上の努力が必要だと彼はいいます。

そんなときこそ、聖ヨセフの無私の聖母子への愛の奉仕をおもいおこしましょう。

 

聖ヨセフは、なんら報いを求めることなく、主のみ告げに従い、聖母マリアとイエスの聖家族の養父として、その生涯をささげました。

 

聖ヨセフに祈りのとりなしを願うことが大切だと言われるのも、聖ヨセフが苦しむ労働者やしいたげられている人びとを、ただ沈黙のうちに守り続けたいと願いつづけて行き、天のみ国に入られたからです。

 

生き延びるために、不条理を感じながらも「人間らしく生きたい」と声を上げるには弱すぎると感じているひとは、いまの日本社会におおぜいいらっしゃるでしょう。

 

声を上げたくとも、ほんとうに悲惨な労働にあえぐ人びとには、時間もお金もないのです。

日本以外の国であれば、企業家、政治家などが自分たちの生活の人間らしさを求めて、市民活動を支援してくれます。

彼らは、じぶんたちが人間らしいサービスをお金で買えるようにするためには、労働者の処遇を人間らしいものにすべきだと考え、ストライキなどの支援をしてくれるのです。

が、日本では市民活動ですら「国や自治体のご意向に沿うものであること」が求められています。

 

どんなに社会格差が開き、ときと所が変わったとしても、権力者も市民も「神のまえでは同じ人間」であることに変わりありません。

 

「主なる神=よいもの、goodness」というキリスト教的な価値観の根幹が、あたり前に「善悪は相対的なもの」だと考えるおおくの日本人の価値観とはかみ合わないようです。

 

善悪を相対化すればするほど、加害側の「相対的罪悪感」はあいまいにごまかせるようになるかも知れません。しかし、善悪の相対性を強調すればするほど、社会的な規範が乱れていくという現状に目をつぶれなくなります。

 

たとえば、結果としてあなたが、わたしが、誰かの死に結果として加担したとしても、「殺してはならない」という十戒の教えを相対化していい、という理由づけにはなりません。

 

「ならぬものは、ならぬのです」という同志社女子大学創立者の新島八重のセリフが、歴史大河ドラマではやったことがありました。

 

規範どおりに世の中が動かないといって、みんながそれぞれの理由で加害者としての自覚を持てないまま被害者意識をもち、自分の中にいる「加害者」をゆるせないとおもい続けたらどうなるでしょうか。

「ゆるせない。ゆるしてはならない」が、「ゆるすな。罰を与えろ。暴言と暴力でいじめることで根性をたたき直せ」という方向に進んでいくのではありませんか。

まさに、日本社会ぜんたいが、「ゆるせない」の負の連鎖のまっただ中にあるような気がしてなりません。哀しいことです。

 

「ゆるせない」という気持ちが、社会の負の連鎖を誘発し、誰かに責めを負わせたい衝動のまま、より弱者への暴力や暴言、パワハラ、セクハラ、そして奴隷労働の強要へと突きすすんでいくのです。

 

ブラック労働の常態化は、まさに「正社員の自分より、非正規期間雇用の職員の時給が高いことがゆるせない。正規の自分たちよりバイトの時給が高いことがゆるせない」という気持ちの負の連鎖に真の原因があると思います。

 

それはまた、正社員、非正規職員、そしてバイトの間に「身分の壁」を厚塗りしなければ耐えられない、たえがたさ、心の痛みのあらわれなのかも知れません。

 

弱者への目線が、「明日は我が身」だと思いやる気持ちになれるなら、暴言や暴力などが無用な労働生産性の低下、マネージメント・タスクの影響力低下につながっていることに気づくでしょう。

 

「短期で行ったら、そこはブラック企業化していた」、という労働現場に、病弱なしぇるりんは、まだ社会適応には至らない体調のまま数日、働くことがあります。

 

そこで聴くのは「座って1分、時給を貰っていることに罪悪感を感じませんか?」、「明日は土曜日ですよね?えっ、金曜日なんですか。働きすぎて、一週間が終わった気になってました。」など、正規職員と呼ばれる人びとの悲痛な声です。

 

もちろん、病者であるしぇるりんが身体ならしにバイトで行く気楽さは、「その場で苦しむひと」に寄り添えるものではないでしょう。

 

現実問題、愚痴だけで済む問題ではなく、ブラック労働によりしぇるりんのように心身を病むひとが増え、思うほどリハビリが上手くいかない、という事例が増える傾向はこのままでは悪化していくでしょう。

 

心身を病み、社会福祉の対象となるひとが増え、自殺者が増加し、それでも弱者に受容的な社会に方向転換できないとしたら、「ブラック労働が労働者の廃用を促進し、社会福祉予算を増大させ、結果として企業を破綻に追い込む」負の連鎖に直結すると思われます。

 

労働者の守護の聖人である聖ヨセフに、この日本社会の労働環境が収容所労働に近い状況になっている現状をかえられる道を見いだせるよう、祈りたいと思います。

 

また、労働者が「みずからの権利はみずから守る必要がある。『いつか、だれかが、どうにかしてくれる』ことはない」を、受け入れ、自立したひととなれるよう祈りたいと思います。

 

聖ヨセフのご守護が、みなさんとともにありますように、アーメン。

 

 

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

 

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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