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« 悪縁を解く「結び目を解く聖母マリアの祈り」 | トップページ | 聖コルベと無原罪の聖母マリア »

2018年12月 4日 (火)

けがれなき御心の聖母マリアに祈ろう

「われわれは、きわめて美しい手本によって、どうすれば無原罪の聖母のために、無制限に身を犠牲にすることができるかを示さなければならない」

「われわれの監督の基準とはなんでしょうか」

「なにごとをなすにも、聖母が、われわれの位置にあったなら、行動したもうたに違いないと思われるように行動すること、とくに、聖母が神を愛したもうたように、聖母のみ心をもって、神を愛したてまつること、これである」

(マリア・ヴォノフスカ著;岳野慶作訳《アウシュヴィッツのコルベ神父》聖母の騎士社P220より引用)

お元気ですか。しぇるりんです。(^-^)

聖母マリアさまをお祝いする三つの大祝日には、「被昇天の聖母マリア(8月15日)」、「無原罪の聖母マリア」と「神の母聖マリア(1月1日)」があります。

Bartolom_esteban_perez_murillo_021 無原罪の聖母マリア(ラテン語ではMaria Immaculata, 英語では Marry Immaculate)は、平たく言うと「無原罪の聖母マリア、または、けがれなきみ心の聖母マリア」のことです。

その意味は「聖母マリアは、イエスの母となり、三位一体の神の子の母、人類の母となるため、わたしたちと同じ人間でありながら、歴史上のすべてのひとが逃れられない原罪なくしてお生まれになった」です。

原罪とは、旧約聖書の創世記にあるアダムとイブがエデンの園を追放される原因となった「知恵の木の実を食べた結果、自らが裸であることを悟った」ことを指します。

原罪を知る、とは「生と死、自分について考える知恵と意図的に欲望を追求するための欲望や執着への執着に目覚めた」ことを意味します。別に、「身体がハダカであること」を自覚したか、しないかを意味するわけではありません。

その点、先進国のヌーディストの方々には、「裸=原罪のない自然に近づくこと」だと錯覚している感があります。

全裸で暮らしているように見える未開の民族の方々でも、彼らの基準で人間文化を「身につけて」います。

未開の民族、部族では成人に達した男性はイチモツがブラブラしないように抑えるヒモ状のものを身につけており、男性、女性はそれぞれ、その部族社会や文化的関係性やアイデンィティーを示すアクセサリーや化粧などをしています。未開の部族の方々は、先進国のヌーディストたちには思いも及ばないほど小さな閉ざされた文化の中で、自分たちなりの葛藤や苦悩を生きているのです。

まさに、人間なら当たり前にあるこの現状が「原罪にある」状態です。

しかし、神のみ母となられた聖母マリアはこれらの原罪を免れた状態でお生まれになりました。

無原罪の聖母マリアの大祝日は、原罪なくしてお生まれになり、神の子の母となり、教会の母となられた聖母が「もし、ここに御子イエズスとともに聖母マリアがおられたら、どうなさるだろうか?」を観想する大祝日です。

もちろん、11月30日から12月8日まで無原罪の聖母マリアへの九日間のノベナをすることは、聖母マリアの父なる神への愛と従順への想いを深めるために良いことです。

「お願いマリアさま」的な祈りであっても、聖母マリアがおん父であるみ神を愛し、み神が聖母マリアを愛されたように、わたしたちがみ神の愛を知るため、世俗的なお願いであっても叶えてくださることがあります。

あなたの、わたしの願いが叶えられたとき、あなたが、わたしが「ああ、神はすべてを観ておられ、知っておられ、信仰へと導こうとされているのだ」と真心から思えるなら、そこにはけがれなき聖母マリアの御心が働いていると言えます。

カトリック教会の教えの原則と信徒共同体、そして世俗的に濁り、欲望にまみれた人々の多い人々と共に生涯を生きる、洗礼のみ恵みを受けた平信徒の間には、大いなるへだたりがあります。

カトリック教会の聖職者、修道者、宣教者のほぼ全てが独身者であることが、性生活、金銭問題や政治的、人間的なもつれの真っ只中で生きる平信徒の十字架からかけ離れた認識の原因にもなっているからです。

ずっと以前、近親相姦と実父に売春を強要されて悩む小学校低学年の少女を、女性保護団体と現地警官の善意で保護する活動に関与したことがあります。

その女性保護団体は、私がカトリック信徒であったためカトリック系の養護施設に保護を打診しましたが、「児童期からの性暴力に対し、適切な対応をできる自信がない」という理由で受け入れてもらえず、プロテスタント系の養護施設に保護されたと聴きました。

平信徒の信徒召命は、まさに貞潔の誓願を立てた人には「経験がないから、理解できない、したくない、なかったことにしたい」問題に対し、「そこに聖母マリアがおられたら、どうされただろうか?」を祈りのうちに求め、行動し、生きることにあります。

そこに聖母マリアがおられたら、初潮年齢が近づき「もしも妊娠したらどうしよう?」と助けを求めて悩む少女のため、裾をからげて走って助けに行かれたでしょう。

助けを求める少女に生涯寄り添い、キリストと人の愛を知るよう、紆余曲折があっても助け続けらるでしょう。過ちがあってもなお、倦むことなく助け続けらるでしょう。

けがれなき聖母の御心は、イエズスと父なる神への愛といつくしみに満たされ、聖霊の導きのままに働かれるからです。

けがれなき聖母の御心は、性暴力被害と、人間にはごく自然に誰にでもある性欲への目覚め、自然な心身の成長の中が同時進行するその少女の生涯の現実を、「けがれたもの、けがされたもの」などと断ずることは決してありません。

むしろ、そのような被害や自らの欲望や、意図的な悪意ある誰かの欲望の被害に遭い、何回もつまずいた人々を助け起こし、必要なみ助けをくださるのが聖母マリアのけがれなき御心であるとわたしは信じます。

性暴力被害や幼さ、世間的な無知や性生活の現実を知らなかった誰かの過去の被害に対し、人間は自分の欲望の妄想の囚われ人となり、被害者に責めを負わせることがあります。

また、いちどは性暴力加害者であった人も、心から愛する人に出逢えれば性暴力加害僻が矯正され、普通の夫婦の営みに満足できる人になれることもあるようです。

性欲、食欲、金銭への欲望などを商売のネタとする、多くの産業に従事する人々を責めるだけでは、聖母マリアのけがれなき御心に心から従順にはなれません。

性産業隆盛の結果として、セックスを単なる「欲望を満たす物理的な手段」としか考えられなくなったことが真の問題です。

食欲も同じことです。第二次世界大戦の飢餓の時代を知るわたしの父は、ゴールデンアワーの「大食いギャルの大食い競争やご馳走三昧の番組」を嫌い、チャンネルを変えさせます。

これでもかと大食いっぷりを喧伝する番組を観ていると、父のまぶたの裏には、先の大戦の末期にあばら骨が浮いて見える飢餓状態で重労働に従事した時代の自分たちの姿が目に浮かび、大食い自慢は「とても正視できない不道徳な光景」にしか思えないのです。

ヒューマニズム、人間主義は近代の人類が獲得した新たな人間としての自覚、認識のたまものです。しかし、自由のもたらした代償は甚大です。身勝手、欲望、自由と理性を混沌とした世俗主義の中で行使することは、多くの試行錯誤とあやまちへの恐れをもたらすからです。

だからと言って昨今の「昔に帰ろう」的な、独裁主義や極右的なあり方が、人間の自由がもたらした負の資産を解消する安直な処方箋だとも思えません。

現状を鑑みるに、カトリック教会の教えに合う、合わないだけをを基準にして、すべての平信徒のおかれた現実に「物申し、説教する」ことだけで、けがれなき聖母マリアの御心にかなうとは思えません。

むしろ、カトリック教会の教えと平信徒のおかれた状況の間にある深淵に橋渡しをし、洗礼のみ恵みにあずかったすべてのカトリック信徒がけがれなき聖母マリアの御心を通して、キリストに立ちもどれるよう、祈り、行動することの方が大切です。

「いま、ここに無原罪の聖母マリアがおられたらどうされただろうか?」をいつも祈り、思ってください。

それが、いつくしみと愛がより大切だと言われる、教皇フランシスコの使徒的書簡のご意向にかなう道だと思うのです。

聖マキシミリアノ・マリア・コルベの冒頭の修道士たちとの問答にあるように、「なにごとをなすにも、聖母がわれわれの位置にあったなら、行動したもうたに違いないと思われるように行動すること」が大切です。

あなたの置かれている場所、あなたの花の咲く場所で見えるもの、聞こえるもの、会える人に対し「もし、無原罪の御やどりであられる聖母マリアがいたら、どうされるだろうか?」を考え、聖母マリアのみ旨の通りに行動できる人となれるよう、無原罪の聖母の祝日に向けて祈りましょう。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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