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« 「天国行きの切符」臨終洗礼は必要ですか? | トップページ | 福音書を読んでみようー2018年の聖書週間に »

2018年11月16日 (金)

朗読「聖書」とカトリック教会の教え

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

カトリック信徒のしぇるりんがミサにあずかりに行く通りすがりに、大きなプロテスタント教会があります。

↓明治十四年の和訳版<新約聖書マタイ伝>

05080543_554bce5d084e4 信者さんは、たいていが黒革の大きな《新旧約聖書》をかかえて、通っておられます。これは、両親が信者ではない日曜学校、土曜学校の子どもも同じような感じで、《新約聖書》を自分で持って、通います。

ちなみに、プロテスタント教会では朗読者や牧師さんが聖書を読んでくれますが、「自分で聖書を開いて」読まれている箇所を探すのが、日本では一般的でしょう。

週ごとに牧師さんの説教のテーマに沿ったみことばが選ばれるようで、自由だけど、ひたすら「聖書を飛ばさずに読む」傾向があるようです。

子どもの頃通ったプロテスタント教会では「♫マタイにマルコにルカ、ヨハネ、使徒の教えは使徒行伝…」と歌って覚えさせてくれたため、カトリック教会で洗礼を受けた今でも、新約聖書の早めくりなら得意技です。

プロテスタント教会とカトリック教会では「正典」と認める聖書の範囲が違うため、日本聖書協会版新共同訳聖書の場合、プロテスタント教会ではただの《新旧約聖書》を用いますが、カトリック教会では《新旧約聖書続編付》を用いています。

カトリック教会では三年(A年、B年、C年)間で、新旧約聖書の全体通じ、イエズス・キリストの教え、霊性、みことば、祈りを説教を通じて「感じます」。

そののち、聖三位一体の教えのすべてを感じ、聖餐式でいただく主のおんからだとおん血を「みことばと祈りを主のおんからだと共に拝領」します。

カトリック教会の日々のミサ朗読、修道院などでは必須の日々の「教会の祈り」と暁課で読まれる「毎日の読書」を通じて、新旧約聖書と詩編の祈りを繰り返し読み続けます。


カトリック教会でのミサ朗読を読んでいると、時々「○章○節a~X節、△節~◇節」などと、聖書のお話の一部を割愛している場合があります。

これは、イエズスのみことばの真意が伝わりやすいよう、平信徒に分かりやすいよう、「説明の説明」「聖書学的には必要な解説だが、文脈を難解にしている部分」を省いているためです。

カトリック教会のミサでは、「第一朗読」には主に旧約聖書の中からその日の福音と関連する部分が読まれます。

「なぜ、この旧約聖書の部分が読まれているのか」は、多いの平信徒には伝わっていないかも知れません。

次に「キリストの祈り」であり、「カトリック教会の祈り」の根幹である「詩編」を祈ります。

日本の「典礼聖歌集」には「詩編の典礼聖歌」がありますが、これは日本のカトリック教会独特のものです。

海外だと主に観想修道会の中で詩編をグレゴリオ聖歌のリズムで歌うことはあっても、一般の聖堂で行われるローマ・ミサで詩編が歌われることはないと思われます。

次に、十二使徒が各地の教会に送ったメッセージである「~の信徒への手紙」が主に第二朗読で読まれます。

これは、その日の福音書にあるテーマについて、主に使徒パウロが各地の教会にどのように説明したか、をあらわす部分が選ばれています。

第一朗読が父なる神の教えとその日の福音書のテーマをつないでいるように、第二朗読は福音書と十二使徒が築いた教会の教えとのつながりをあらわしています。

朗読で読まれた部分を観想し、主をたたえて祈るのが「答唱詩編」であり、「アレルヤ唱(四旬節には詠唱)」です。

そのあとで司祭、または助祭が「福音書」を読みます。

第一朗読が「父なる神のみ教え」を表し、第二朗読が「聖霊の交わりにある教会」をあらわします。

こうして、「父と子と聖霊の御名によって」その日の福音書が読まれるわけです。

そのため、カトリック教会での説教は、「父と子と聖霊の交わり」が、その日の第一朗読、第二朗読、福音書とわたしたちの信仰の中でどのような関わりがあるのか、を信徒の心とたましいの内奥におられるキリストに語りかける内容であることが望ましいようです。

もちろん、カトリック教会の司祭がすべて聖人ではないし、修道司祭であれ、教区司祭であれ、それぞれの平信徒の信仰のあり方と「ピッタリくる人」に出会える確率は、親友や愛する人に出会うぐらい低いのかも知れません。

司祭が「どんな説教をしようか?」と思い悩む際、「本人のみことばへの思い入れ=レクチオ・ディヴィナ(霊的読書の祈り)に頼ってはならない」、と言われるようです。

司祭の説教は、司祭個人の思い入れではなく、「キリストのみことば、み心、霊性を、ともすれば難しく聴こえるみことばを解くことで伝わるのだろうか」がポイントだからです。

しかし、神父さまにも得手、不得手もありますし、所属修道会の霊性や活動が「自分に合う、合わない」という問題もあります。

しぇるりんは、なぜか「イエズス会の黙想の家」が全く肌に合わず、日がな一日眠ってばかりいました。後日、ある方に「それは、霊性が肌に合わなかったんですね。」と言われて、「なるほど…」と思いました。

しぇるりんは結果として、いろいろな改革運動が使徒伝承の教会の時代からあったにせよ、プロテスタント、正教会、カトリックという「離れた兄弟たち」のすべてが、その教えを今も伝承しようと努力している、《聖ベネディクトの戒律》に行き着きました。

カトリック教会にはどこでも、<聖書と典礼>の冊子、または月刊、年間の朗読の本があるため、みなさんが聖書を開き、読むことはあまりないかも知れません。

ただ、プロテスタント教会のやり方と違い、「マタイによる福音書第1章を読んでたら、面倒臭くなってやめた」という読み方はしなくてもいいと思います。

しぇるりんは悩みある時に、あてずっぽで聖書を開きます。

そして目についたみことばがあればそのみことばを、心の奥に沈めて祈ります。

もちろん、みなさんそれぞれが「どこで、どのようにキリストに出会うのか」、は分かりません。

ためしに、マタイによる福音書25章1節~13節の「十人のおとめ」のたとえを読んでみてください。

おとめたちの持つ「油」は日々の信仰であり、祈りであり、主への愛をあらわしています。

救い主キリストという「花婿」が決して誰も訪れるはずのない真夜中にあなたやわたしを訪れた時、「イエズスを信じます」というともしびを持っているため、わたしたちはイエズスへの信仰を日々、保ち続けるのです。

信仰というともし火を保ち続けたおとめたちが、信仰のともし火の油切れを起こしそうなおとめたちに対してケチなのではありません。

信仰は油切れを起こさないよう、常に自分自身の中で育むものだから、分かち合う方法のないものだとしぇるりんは感じました。


あなたは、どう感じられたでしょうか。あなたには、あなたなりの感じ方があったと思います。

第二バチカン公会議以降のカトリック教会では、司祭の指導の有無に関係なく、平信徒が自由に聖書を読むことを奨励しています。

このブログを読んでおられる中にも「教会やミサはちょっとなぁ…でも聖書は読んでいる」という信徒さんは大勢おられると思います。

《新旧約聖書続編付》は、読むだけではたましいに響きません。家族や隣人との関わり、世間との関わりや仕事を通じて少しずつ、わたしたちの心の奥にある「取っ手のない扉」をわたしたちがキリストに向かって開くため、いちばん大切なキッカケのひとつだと思います。

聖書週間も近づいてきました。

現在、カトリック教会では朗読聖書は日本聖書協会版《新共同訳 新旧約聖書続編付き》を用いています。また、私的に聖書に親しむなら、フランシスコ会版《新旧約聖書》とバルバロ神父さまがお一人で訳された《聖書》(講談社)もあります。

慣れない方にはどうにもわからない言葉が多いと思うので、ぜひ索引や地図など、巻末やページ内の参考部分を読みながら、親しんでみてください。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


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