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2018年10月 2日 (火)

栄光の奥義第三:聖霊降臨

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

…人々は皆、驚き、とまどい「いったい、これはどういうことなのか。」と互いに言った。
(使徒言行録2:1~6、12)

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

《新約聖書》の中で聖霊降臨の部分は、特に信心深い方々の興味をそそる部分でしょう。天に上げられたキリストが、弟子たちに聖霊を遣わしたことで、弟子たちはそれぞれの人間的な判断の中に「聖霊の招き、導き、召命」を自分の中から感じ、感じたことを人々にあらわし、宣べ伝えたからです。

時に「聖霊の働き」を求めて祈ることに専念すれば、聖霊が奇跡をお与えくださる、と考える人々がいるようです。

別に間違いではないかもしれませんし、米国発の「聖霊刷新運動」のようなものは、「タデ食う虫も好き好き」の範疇だと思います。

しぇるりんは韓国にいた時、アメリカから聖霊刷新運動の指導司祭が来たイベントに参加したことがありますが、正直「指導司祭の信心業イベントを教区長さまが認めているなら、やりたけりゃやれば…?」ぐらいの印象を受けました。

否定はしないが、しぇるりんは聖霊刷新運動は苦手です。しぇるりんが洗礼を受けた韓国の某小教区の司祭が聖霊刷新運動を「堅信の教理」がわりに招聘したことがありました。その時、指導して下さった方が霊的に折り合いの良くない姉妹だったせいか、私の方が悪心状態に陥り、堅信講座の落第を選ばざるを得なくなったからです。

しぇるりんは、聖霊の導きとは、日々の生活の中に埋もれた何かを見出すために、ちょっとだけ主に心を向けることから始まるのだと思います。

Seireikourin 主日のミサの集いに参加し、人々と交わり、聖書を読み、時に信心業を行い、好みに応じてメダイや十字架を身につけたり、特定の聖人への崇敬などを持つこともいいでしょう。また、悩みある時にノベナ(九日間の祈り)やご聖体礼拝やご聖体訪問(お参り)などをしてみることで、何か主が与えてくださることもあるでしょう。

問題は、主がそれぞれにとって最善だと思われる「良いもの」を、わたしたちが「良い」と受け取れるかどうか、なのです。

たとえば、試練や無理解、誤解や失業などの苦難が、時に主がわたしに下さる最善のみ旨である場合もあるでしょう。


どうにもならない状況の中にあっても希望を失わないこと、主の愛に信頼を置き続けることは、決して楽なことではありません。

それでも、キリストの名を信じる者として「自分の頭で考え」「自分なりに信じてそれを行い」、なお「祈り続けること」日々の生活の真っ只中に、聖霊は自然に降りて来て、わたしたちそれぞれに必要な何かを示されると信じています。

たとえあなたが、カトリックの洗礼を受けていなくても、ただ聖書を何となく読み、「あなたのために祈る誰かの祈りに支えられ」ていれば、聖霊のみ恵みで「いつの間にか支えられている」自分に気づくようになるでしょう。

時に「○○さんが危篤です。お祈りください」と頼まれても、結局、亡くなってしまうことがあります。亡くなった方にとっては、来るべき天のみ国からお迎えだったのかも知れません。

しかし、祈りを頼んだ方のその後の人生に、その方の死こそが人生の転換期になることもあるでしょう。

「お祈りください」と頼まれて、「祈ったとおりになること」だけを求めるのは、たとえカトリック教会公認のどのような祈りであれ、単なる「ご利益祈願」の一種から抜け出せていない状態だと思います。

もちろん、私たちそれぞれに生きる希望を持たせるために、聖霊が導き、招き、主のみ業を行われることはあるでしょう。

不意に失業して困っていたら、転職先が見つかることもあるでしょうし、偶然のような出来事から解決策が見つかることもあるでしょう。

主イエズス・キリストの遣わされる聖霊は、癒されがたい障害が癒されること、学校や勤め先での問題を解決するのに、少しだけ手を貸してくださることがあります。

わたしたちは、聖霊の下さった結果に対して感謝し、あたかもそれらを自分自身で手に入れたかのような錯覚に陥る傲慢さやこころ弱さを持っています。


わたしたちが感謝すべきなのは、「弱いアシ」つまり雑草の細い茎よりも弱いわたしたちの信仰と希望を強めてくださる、父なる神、主なるおん独り子イエス・キリストと、主の聖霊の働きに対してなのです。

主に対して感謝することを忘れないよう、聖霊はわたしたちに主のみ言葉を読み、理解し、深く思いを巡らし、祈ることを教えてくださいます。

結果として、わたしたちの弱さは弱さのままですが、主の聖霊によって強められ、どうにか日々の暮らしをつないでいける、そういうものだと思うのです。

先行きの不透明な、不安定な時代になりました。災害や戦災も多発し、世界中で人々が逃げ惑っています。

そんな時代だからこそ、わたしたちそれぞれのたましいの同伴者であるイエス・キリストの聖霊に「わたしは、主のためにどう生きたらいいのでしょうか」と深く問う必要があると思うのです。

きょう一日を生き延び、明日への希望を持つために必要なみ恵みを、自分自身と家族や周囲にいるすべての人々の上にあるよう、ロザリオの祈りの栄光の奥義第三、聖霊降臨に想いを巡らし祈りましょう。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


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