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2018年10月30日 (火)

カトリック教会の教えとネット婚活・恋愛を考える

お元気ですか。しぇるりんです。(^.^)

しぇるりんの母は、現代でいう「リア充恋愛」が当たり前な時代に青春時代を過ごしました。

昭和時代の言葉で「アベック」と呼ばれるカップルが街中に溢れていたそうです。また、しぇるりんが青春時代を過ごした1970年代後半~バブル崩壊ぐらいまでは、「ナンパ」や「逆ナン」がきっかけで知り合った男女が結婚し、家族になることも一般的でした。

一方で浮気や不倫、フリーセックスなどが横行し、昼間からポルノまがいのドラマが何ら規制なく放送されていた時代がありました。

その時代の出会いで幸せな家族を築けた人も、もちろん大勢いたでしょう。

しかし、「愛に縁がなく、家庭という対面を守るために家に帰っても居場所のない夫、家庭に夫や父を必要としない妻」が「イエ」を守っているうちに「純粋に経済的、育児、家事分担の関係が惰性になった」家庭も多く存在しました。


「イエ」としての家庭、愛のない家庭で育った子どもたちは、家庭や夫婦という関係性そのものへの絶望感を感じ、安易に恋愛に陥ることを恐れるようになりました。

その上、いまは子どもの時から、人付き合いに慣れていない人が増えています。

それもあって、ネットで出会い、メールアドレスやLINEのID、スカイプでメアドを交換し、実際に対面で逢った回数は数回なのに、パートナーシップや恋愛、結婚に至るケースが増えています。

また、RPGやオンラインゲームのキャラクター同士で知り合い、意気投合して現実に出会い、結婚に至る事例もあります。また、ゲーム上で結婚した相手との関係を重んずるあまり、リアル世界の結婚相手と離婚してしまった、などという事例もあるようです。

バーチャルな出会いでは、「まず最初に互いに何を出会いに求めているのか?」をたずね合うのは非常に大切です。

互いの「これだけは、外せない」条件が満たしているなら、ネット、チャット、動画電話を通じて関係性を深め、愛を告白し、プロポーズをするのもアリだと思います。

0d2e9d3532be629134e1e865115d4373e15 ネット婚活、恋愛を通じての婚姻件数は、年々増加傾向にあります。地球の反対側に住んでいる相手とでも、ネットならお互いに深く知り合える可能性があります。

昭和時代までの「恋文」という恋愛形式に、ネット恋愛は似ている点があります。まず、メッセージ、言葉や画像、絵文字でお互いの気持ちを確認した上で、実際に逢うからです。

いきなりリアルに逢っていたら、話すと気まずい思いをした挙句に、「食事をおごらされた」「ケチな男ね…」など良くない印象が残ったり、セクハラやパワハラに遭ったりして、あとあとまで嫌な記憶を引きずったかも知れません。

その点、ネット恋愛だとある程度のお互いの気持ちをメッセージ、メール、チャット、動画電話などで確認しあった上でリアルに出会うので、互いの理解の行き違いが起こる確率は減る確率があります。

ネット上でいくら出会っても、経済的な損失はネット通信料と時間だけなので、「デート代で損した、トクした」という経済的な利害損得による嫌な思い出が残りにくいというメリットもあります。

ただ、お若い方や想像力の欠ける方、リアルの人間関係の中で自己認識が甘い方などは、知らないうちに自分の思い込みを前提条件として勝手に話を進めている、または互いの会話の行き違いに気づいていない…ことがあります。

以前、「YOUは何しにニッポンへ」という番組で、ネットで知り合った若い日本人男性に、若いイタリア人女性が会いに来た、という話がありました。

日本人男性はイタリア人女性が自分に恋愛感情があってはるかイタリアから自分に会いに来た、と思っていたようです。

しかしイタリア人女性は、「日本のホラースポット巡りがしたくて来た。ホラースポットが好きという共通の趣味があり、前々から行きたかった日本のホラースポットに連れて行ってくれる『日本人の友人』が案内してくれると言うから来た」とのことでした。

その時、彼女のために相当の努力をして有給休暇を取得し、空港に迎えに来たであろう男性のガッカリした表情は、カメラ目線でも分かるぐらいのものでした。

共通の趣味、仕事上の関心、社会的つながりがあり、利害関係が一致する、見た目、外貌が気に入ったなど、表面的な理由でつながりを持てた、と「自分の思い込みで」錯覚しがちなのもネット恋愛の特徴です。

たとえインターネットを通じた恋愛や友情でも、文章や動画といった「リアル以上にリアルな」相手が、ネットの向こうにいます。

その相手は、あなたがいま学校や会社でいちばん避けたいと思っているその人、関心を持つ気にもなれないその人、世界のどこかで命を失い、または命を奪っているその人と全く同じ「神の被造物であるひとりの人間」なのです。

多くの人はネット上で恋愛する時、「この見えないネットワークの向こうには、生きている人間がいる」と想像できないのかも知れません。

それは「○X国の△○地方で内紛が起き、その地域の人口の半数が虐殺され、難民化しました」とニュースで言われても、「他国のことなんてどうでもいいから、私の生活をどうにかして!」と思う気持ちと根っこは同じです。

例え話に「百五十人の村」というのがあります。一人の人間が自分の生活圏の中で相手も自分と同じ人間だと実感できるのは、せいぜい百五十人ぐらいだ、という意味です。

ネット恋愛で起こりがちなあやまちの原因は、ネットの向こうにいる誰かを「自分と全く同じ人間」と思えないことにあります。

もちろん、文章力、表現力、理解能力などの問題もあるでしょう。これが外国人同士である場合、外国語能力も問われることになります。

ちなみに、しぇるりんがネットで知り合ったある男性は、メッセージを何回かやりとりして気に入った、LINEしようといきなりIDを送って来ました。

LINEで「ハーイ!」まではいいのですが、相手はこちらから何かを言って来るのをただじっと待っているだけ。

どうも、女性は男性がじっとしていてもハリウッドのアダルト映画もどきに積極的に誘惑してくれるものだと勘違いしているようで、どうにも対処に困り、数日でその男性のIDをLINEから削除しました。

自分も相手も、男女の違いはあっても同じ人間です。何を話しかけたらいいのか分からない相手、率直に自分の一番の弱みの一部すら明らかにすることすらできないなら、深いおつきあいに発展することはありません。

いきなりリアルで自分の一番の弱みの一部をさらけ出して言えるか、と問われたら「最初からはちょっと…ねぇ」と答える人が99%だと思います。

その点、自分の弱さを明らかにして振られる確率の方が高いと自覚して、「実は…だけど付き合ってくれますか?」とお付き合いの最初から文字で訊ねられるのはネット恋愛の長所と言えましょう。

逆にリアルお見合いや婚活パーティーで、一方的に自分の条件提示をし続ける男女も大勢みました。しかし、条件提示して、相手が条件に合わなければ要らない…と考えるならどのような媒体で出会うにせよ、条件にピッタリ合う相手など現れないでしょう。

恋愛や結婚は単純に「条件が合えば…」というものではなく、心やたましいが惹かれ合う何かがなければ「苦しめる時も病める時も、死せる時まで」続けられない、二人の人生の始発点だからです。

5分以内に条件提示とイメージだけで相手とカップル成立…でお付き合いに至る確率は、5%以下でしょう。ちなみに、かなりお高めの料金を取る婚活会社を通じても、カップル成立率5%以下、成婚率は3%以下という数字はネットとあまり変わらないようです。

互いに教養水準や言葉が通じ合えるレベルなのか、気持ちや心が通じ合えるのか、互いが求める目標が互いに調整可能なのか、相手の価値観や生活様式が受け入れられるのか…など、「自分の趣味や好みに合う」以上に現実生活に即した事柄をしっかりと確認することが、ネット恋愛だからこそ大切なのです。

これがLINEなどのチャットアプリや、ゲームのチャット機能を通じてだと、画像、動画、キャラクターのイメージやチャット上のことば、絵文字による表現能力など、リアルにはない判断基準がこれらのコミュニケーションを円滑にする要素として介在することになります。

そのため、ネカマ行為、いつわりの自分をネットで演じれば演じるほど、現実生活以上に悪意に翻弄される確率も高くなるのがネット社会と言えましょう。

カトリック教会の教えから言えば、ネット恋愛することそのものに善悪はありません。

しかしネット上だからこそ、自分をいつわってもバレないかも…と見栄をはると、その報いは怖ろしい現実として跳ね返ってくる可能性もあります。

むしろネットでは現実世界の隣人以上に繊細に、相手が「自分と同じ人間」であり、「自分の思い込み通りにならないのが他人」で「親しい仲にも礼儀あり」を常に意識していなければならないのです。

インターネットは、ひとと人との出会いの場を世界に広げました。それでも、創世記にある「人が独りでいるのは良くない」から、「わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」との出会いがある、という普遍的な真実は変わることがありません。

ある説教で「主なる神があばら骨を取られたのは、その近くにたましいがあると考えられており、男のたましいの宿ったあばら骨から、神は男とは違う女を作られた」と聴きました。

「違う存在といること=独りでいるのは良くない」ことを切実に知るため、人はパートナーを求めます。それは、ネット上であれ、リアルであれ、昔も今も変わらぬ普遍的な事柄です。

どうか、ネット婚活でもカトリック教会の教えの基本を忘れず、みなさまが良縁に恵まれますよう、お祈りしております。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


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