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2018年10月16日 (火)

カトリック教会での婚姻の不解消性と婚姻無効化について

…(カトリック)教会は、婚姻の事案に関して、キリストのことばのより明確な認識を獲得しながら、聖なる婚姻の絆の不解消性についての教えをより深く考察しかつ理解し、それを交付してきました。そして、教会の規律が、公言された信仰の心理とより一貫性をもつものとなるように、婚姻の合意の無効に関する体系をまとめあげ、婚姻無効の裁判手続きがより適切なものとなるよう…わたし(教皇フランシスコ)は、婚姻無効手続きの改革に着手することを決めました。

わたしは(婚姻無効手続きの改革を求める)司教たちの要望と完全に一致して、この自発教令によって、婚姻の無効化を助けるのではなく、少なくとも適切な簡易さをもった訴訟手続きの迅速化を助ける規定を導入することにしました。


それは、裁判の判決が遅くなることによって、自らの立場が明らかになるまで待つことを余儀なくされている信徒たちが、疑念の暗闇に永い間苦しめられないようにするためです。
(教皇フランシスコ自発教令の形式による使徒的書簡『寛容な裁判官、主イエス』2015年8月15日より抜粋)

https://www.cbcj.catholic.jp/2015/08/15/9878/

お元気ですか。しぇるりんです。(^。^)

Img_1452 詳細はカトリック中央協議会の日本語訳をお読みくださった方がいいとは思いますが、わたしは「聖なる婚姻の不解消性」を是とするカトリック教会の教えと、一定の条件に該当する『婚姻の事実が一方の当事者により不存在化した』場合における、「婚姻の無効化および信徒の再婚」についてやさしく書き下ろしたいと思います。

というのも、婚姻の無効化手続きの簡略化は、聖なる婚姻の不解消性を侵害するものだと誤解している信徒の方々もいる一方で、「受忍の限度を超える苦しみがあって離婚し、心から愛する人に出会ったのに、カトリック信徒であるがゆえに再婚が認められない」と思い込んで苦しんでいる人もいるからです。

まず、聖なる婚姻の不解消性は、イエズスが定められた「絶対の摂理や真理」ではなく、「人間が神と教会の交わりがそうであるべきように、解かれることなき絆で父と母から離れ、男女が一つになること」を求め続けるよう招かれている、という教えだ、という点です。

どの宗教であれ、教えが守られていない、教えを守らない人がいることを、私たちは知っています。そして、聖書に「毒麦が混ざっているからといって、毒麦の芽を摘もうとして、良い麦の芽が育つのを妨げてはならない」とあるのも知っています。

例えば、カトリック信徒の夫に無自覚ではあってもモラル・ハラスメント、DVなどの傾向があり、未信者の妻が心身を病むほどに苦しんだ上で、受忍の限度を超えたため離婚を求めて画策するなら、未信者の妻の要求は、カトリック信徒である夫の理不尽な要求より尊重されねばならないとしぇるりんは考えます。

カトリック教会の教えが、モラハラ信徒の言い訳として言い立てられるなら、イエス・キリストの愛に反すると言えるでしょう。

もしも21世紀の現代にイエズスが現代日本におられたなら、モラハラ信徒、浮気信徒が「聖なる婚姻の不解消性」を離婚不同意の理由として夫が言い立てるなら、キリストを全く知らなくとも、受忍の限度まで耐え抜いた妻を顧みられるでしょう。

イエズス・キリストはあわれみ深く、なさけ深い方だからです。

と同時に、未信者の夫または妻が「神をも恐れぬ所業」である複数異性や同性との浮気、金銭や地位詐取のための偽装婚姻、DV行為などを行う目的での婚姻、別の愛人がいる事実を隠してある人と婚姻し、後日その事実が発覚した場合、民事離婚を勧める家族や弁護士の言い分を「カトリック信徒だから受け入れられない」と断じてはなりません。

神をおそれるあまりに本人の受忍の限度を超え、自死に追い込まれるような状態にまで、カトリック教会の教えが自らの信徒を追い込むようなことがあってはならないのです。


2017年度の統計によれば、カトリック信徒が多数派のポルトガルの離婚率は68%だそうです。

これもまた、それまで婚姻の無効化手続きが迅速でないため、「前の婚姻の事実関係がすでに存在せず」「婚姻無効化の手続きが迅速でなく」、「既に新たな事実婚生活をおくっている人々」と「不存在である前婚との悪縁を断ち切り、新たなパートナーを求めたいと真剣に考える信徒」が、この自発教令に触発された世俗法の改正で、いっぺんに既に存在しない前の婚姻関係を民事法上の離婚により解消したからだと推測されます。

カトリック教徒が多数派を占める国々の中には、民事上の「離婚関連、または婚姻関係解消に関する法律」が存在せず、「カトリック教会での婚姻無効事実が成立した場合にのみ、婚姻無効を認める」国もまだ地球上には残っています。

それだけに、カトリック教会の教えである「聖なる婚姻の不解消性」「秘跡としての婚姻(カトリック信徒の民事婚も含む)」と、「既に事実婚状態が不存在な前婚を婚姻無効化で新しい明日を生きたい」と願う地上を旅するカトリック平信徒の切なる願いは、神の愛とみ恵みへの信頼を裏切るものであってはありません。

そのため、具体的に言えば、抽象的すぎる離婚理由である「性格の不一致」、「一方の配偶者が過度のブラック労働で家庭を省みる余裕のない状況に追い込まれていた」ことへの極度な無関心で愛が冷めた、「配偶者に対して思いやりと愛があれば配慮可能な事柄への配慮を怠り、自分の趣味やゲームなどが配偶者より大切になった」などの理由で離婚したのであれば、カトリック教会での婚姻無効化は認められないでしょう。

たとえどれほど配偶者が多忙を極める業務に従事し、家庭を省みる余地のない状況にあったにせよ、ハマってしまったゲームキャラクターと自分のゲームキャラクターを結婚させたいが故に、既存の配偶者が浮気、ギャンブル依存などの事実もなく、ゲームに課金する莫大な金額を払ってもらっていながら「離婚して!」はアウト、ということです。

一方、金銭詐取目的の婚姻、地位や財産相続目的の婚姻、奔放なセックスを楽しむための浮気癖を持つ人や、既に別の長期的事実婚関係と言える愛人のいる配偶者との婚姻、配偶者や子への言葉や暴力虐待を当たり前だと考えるDV配偶者との婚姻、同居生活が極めて困難な性癖や治療の極めて困難な依存症を持つパートナーとの婚姻などの場合、離婚しなければその被害に遭っている一方の配偶者の生命が危険にさらされ、真っ当な日常生活を送ることが非常に困難な事態に直面することもあるでしょう。

このような婚姻関係は、互いにとって不幸の源となり、時に自死や精神疾患を発症させ、刑事事件に発展しかねない関係であり、婚姻関係の解消の他に解決手段のない事例と言えましょう。

婚姻無効化の対象となる婚姻、とは「これ以上、正常な日常生活を送れない状態にある婚姻関係」と言えましょう。


また、このような「極端に過酷な婚姻関係による被害」に遭った人は、長い間、異性やパートナーへを持つことへの深い不信感に苦しみます。「自分は、神をおそれ、真っ当な生活を送れる配偶者を求められるほど、価値のない人間なのではないか?」という深い自責の念に苦しむからです。

もちろん、初めから「相手を騙そう」と思っている人間にだまされたのなら、騙された人はなぜ騙されたのかわからないぐらい「無邪気な人」という事は多々あります。

犯罪被害、特に性犯罪被害に遭った被害者女性に離婚を請求する事例など、本人の本意でない被害で離婚を余儀なくされた女性たちの再出発をも、カトリック教会は応援すべきだと思います。

イエズスさまがもしもここにいて、性被害者女性が離婚後、新たに良きパートナーと出会い、愛と信頼を日々の生活の中で感じられるようになれるなら、よろこんで新しい婚姻生活を初めるよう、勧められたでしょう。

決して彼女に、以前は極端に複雑だった二重の婚姻無効化の手続きで苦しめることないよう、母なる教会とその牧者に求められるでしょう。

一度は婚姻関係において被害に遭った人であっても、その後、素晴らしいパートナーと出会い、新しい生活の中で過去の傷が癒されることもあります。

主は神をおそれ、敬う人になさけ深く、寛容な方であり、「疑念の暗闇に永い間苦しめられないようにする」ために、主イエズス以外には誰にもできないやり方で、それぞれにいちばん最善の道を開いて下さいます。

信じる人が疑念の暗闇の中で負う十字架の重さに耐えかねてキリストから離れることがないよう、主イエズスのみがご存知の特別なやり方で、「まるで過去に得た魂の傷跡が消え去り、しみもシワもない状態に戻ったかのように」、人間として最善の愛の日々を育むみ恵みをお与えになることもあるからです。

そして、聖なるカトリック教会には、主のみが与えることのできるみ恵みの道、信仰、希望、愛へと向かう新しい道を、イエズスの意に反して妨げることのないよう最善を尽くすことが求められているのです。

もちろん、複雑な事例もあります。以前、ある熱心なプロテスタントの伝道師を妻にした、芸術家でもあった身体障害者でカトリック男性の話を聞いたことがあります。

伝道師の妻は、芸術家らしい率直さとカトリック信徒らしい霊性を深める夫から、次第に心が離れて行ったようです。


それでも、「障害者男性を夫に迎え入れる素晴らしい伝道師」という自らのイメージを損なわないため、事あるごとに障害者の夫をプロテスタント教会行事に連れ回していました。

芸術家でもあったこの男性には、妻のキリスト者らしからぬ偽善的な態度に、次第に愛想を尽かしてしまいました。

人前でだけは「清く、正しいキリスト者の妻」を演じられるよう、率直な人には耐えられない偽善的な演技を彼に強要したからです。

男性は呆れ果てた挙句、とある離島の街に「芸術活動のため」に転居し、別居状態は長年続きました。ある時、離島の街で、男性は心から彼を愛する女性に巡り会いました。そして、いつしか二人で事実婚生活を始めました。

そのうち、彼は愛する女性と事実婚であっても神と教会と教会共同体の祝福を受けたい、と願うようになり、ある日小教区司祭に相談しました。

司祭は、その間の事情、そして民事婚の妻についてもよく知っていました。司祭はある日、小教区に関わる修道院のシスターに言いました。

「あの障害者男性と、事実婚関係にある女性に婚姻の祝福を授けましょう。あの二人は心から愛し合っていることを、わたし達に証しし続けてきたのですから」。

キリストの聖霊に満たされた、使徒座をただ一つの教会共同体と仰ぐわたし達カトリック者にとって、大切なのはキリストの愛に生き、キリストへの祈りに生き、イエズスへの信仰を保ち続けることです。

そして、祝福されたおとめマリアを慕う教会共同体は、イエズスへの信仰を世の終わりまで保ち続けられるよう、世俗のさま変わり、流転変転のまっただ中にあっても、聖霊の交わりを「カトリック教会の教え」と「カトリック教会法」に反映すべく、努力し続ける義務があるのです。

イエズスの愛に従う義務は、喜びと愛に満ちた従順の道です。たとえ、十字架の時であってもわたしたちはキリストへの従順が人間的な思惑で妨げられるような事態がないように、共に考え、共に祈り、共にあゆむことが求められています。


霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


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