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2018年10月 5日 (金)

栄光の奥義第四:聖母の被昇天

使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。…彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上った。それは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。

彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

(使徒言行録1:12~14)

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

ロザリオの祈り、十字架の道行きなど、カトリック教会固有の信心業の中には、使徒パウロの時代からの伝承を元に築かれた神学があります。

マリア神学は主に、口碑伝承、および使徒パウロの時代からの伝承、神をおそれ敬う大勢の聖人聖女らに聖霊によって啓示されたことがらや公認の「ご出現」などを、哲学的なアプローチで思索し、キリスト教の核心となる教えである三位一体論など様々な分野の神学、哲学との修辞学および観想の祈りから得られた霊性における神の臨在などとの整合性を、歴代の神学者がさまざまな角度から検証し、積み上げたものです。

福音書の中でイエズスの母として聖母が登場することは多くとも、使徒言行録以降にはほとんど現れないのです。

聖母マリアは、大天使ガブリエルの受胎告知から、イエズスの十字架上の死と復活、そして使徒らがキリストの教会の礎を築くまでの全ての日々を父なる神、主のおん独り子であられるイエズス・キリストと聖霊の交わり、教会の礎が据えられる時まで、おん父への祈りに自らの生涯を捧げられました。

聖母マリアのおん父への奉献の生涯は、カトリック教会の修道生活、奉献生活における祈り、節制ある生活規範の模範です。と同時に、女性たち、母たち、そして使徒たちの活躍を単なる家事労働や補助的役割で支えるのではなく、「祈りにおいて」使徒たちとおん父の間を執り成す、女性ならではの生き方の模範と言えましょう。

「聖母の被昇天」という神学的な概念が、カトリック教会の公認の「カトリック教会の教え」となったのは、教皇ピオ十二世が「カテドラ宣言」を行った、1950年11月1日のことです。

400pxtizian_041 「聖母の被昇天」とは、「「われわれの主イエズス・キリストの権威と、使徒聖ペトロと聖パウロの権威、および私の権威により、無原罪の神の母、終生処女であるマリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光にあげられたことは、神によって啓示された真理であると宣言し、布告し、定義する」(『カトリック教会文書資料集』3903)に由来します。

17世紀に日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは「聖母被昇天の祝日に鹿児島に上陸した。だからこの国を『栄光の聖母(被昇天の聖母)』に奉献する」と「聖フランシスコ・ザビエル書簡集」の手紙に書いています。

1649年の時点で既に、神学的には「天のみ国に上げられたおとめマリアは、イエズスに祈りを取り次いでくださる、聖三位一体と最も近しいお方」と認識されていたことの傍証となる記述です。

聖母マリアは、わたしたちの祈りの頼もしい執り成し手であり、わたしたちそれぞれが盲滅法に「こうしてください!」と求めることがらを、イエズスのまなざしを知りつつも、人間的弱さに寄り添い、み助けをくださる取り成し手です。

時に聖母マリアを、頼もしい祈りの執り成し手以上の何か、まるで万能の女神であるかのように勘違いするカトリック信徒がいます。

聖母マリアさまは、決して「唯一全能の神」「全ての被造物の創り主」と同じように神格を持つ方ではなく、わたしたちと同じように人間であられます。

ただ、神のおん独り子の地上での母として選ばれたため、人間が誰でも持つ原罪をまぬがれ、けがれなきみ心を持ってお生れになった、という点だけがわたしたちと違うだけです。

しぇるりんにとって、聖母マリアさまの祈りの執り成しによって得られる何かは、いつもとても人間的でありながら、決して人智の及ばない何かです。マリアさまのなさる事柄は、不思議に満ちあふれているからです。

日本のほとんどのカトリック教会に聖母像、または聖母子像が飾られているのは、それだけ親しみを感じられるからでしょう。

わたしはプロテスタント教会の日曜学校にいた時、「聖三位一体に聖母の助けなしに、血染めの赤く険しい階段を登る」、霊的に非常に険しい体験をしました。

誰であれ、聖母の白い階段を登るのでなければ、聖三位一体への愛と希望を保つことは難しい、というアッシジの聖フランシスコの言葉は正しい、と信じる所以です。

わたしたちの地上の人間生活の細かい機微、必要なものや事柄をよくご存知の方が、主のみ国ですべてのキリストに招かれた人々を見守り、わたしたちの祈りに応じ、日々の生活の中でごく自然に主キリストを知るよう、導いてくださるからです。

聖母はオムツをした赤ちゃんだったイエズスも、年齢相応の反抗期だった時も、徒弟として、そして一人前の大工として聖ヨセフと聖マリアに従順にお仕えになった時も、神のみ国を告げ知らされた時も、十字架の時も、ずっとイエズスの神の独り子であり、我が子でもあるイエズスと共におられました。

だからこそ、父と子と聖霊のいちばんそば近く、聖母がお仕えになっていると、わたしたちは信じているのです。

わたしたちも、神のみ国に上げられた聖母の生涯にならい、わたしの要求どおりになるよう、応えてくださることを求めるのではなく、わたしたちが聖母の生涯に倣い、主のみ旨に応えられるよう、ロザリオの栄光の奥義第四、聖母の被昇天の一連を祈りましょう。


霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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