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2018年9月 4日 (火)

光の奥義第五:最後の晩餐とミサ聖祭

時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」

そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、パンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」
(ルカによる福音書22:14~20)

お元気ですか。しぇるりんです。(^-^)

カトリック教会のミサ聖祭(聖餐式)の源である「最後の晩餐」が、日本でいちばん理解されている「キリスト教の教え」であるのは、皮肉かも知れません。

テレビ番組などでよく「明日、死ぬとしたら何を食べたい?」みたいな食べ歩き番組でも「最後の晩餐」という言葉が使われます。

ツイッターの#最後の晩餐で検索すると「明日から長期入院。最後の晩餐に○○を食べました」などの書き込みが、美術絵画「最後の晩餐」と「ダヴィンチコード」関連と同じぐらいの割合で使われているのがわかります。

冒頭の聖句にある「最後の晩餐」は、ユダヤ人最大のお祭りである過越祭とは、出エジプトを記念して、ユダヤ暦のニサン月14日の夜(太陽暦の3月か4月)に始まり1週間行われる、祭りの前々夜の晩餐に由来します。

↓スペインのカタルーニャの修道院にある「最後の晩餐」の聖画

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イエズスは、この大切な祭りをエルサレムの街で迎えられました。そして、イースト菌の入っていない「種無しのパン」とぶどう酒をささげ、感謝の祈りを唱えられました。

「感謝の祈りを唱える」は、最後の晩餐で最も大切なことです。

そして、カトリック司祭は、聖餐式のパンとぶどう酒の祝別を行います。

『パンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」』

そして、司祭はパンを天に捧げると、天使のパンはキリストのおん体そのものに聖変化する、がカトリック信徒の信仰です。

そして、ぶどう酒と水の入ったカリスを天に捧げて、「みな、これを取って飲みなさい」と唱えます。

そして『「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」』と聖変化の祈りを告げるとそのぶどう酒は、ぶどう酒のまま「キリストのおん血」になります。

それは単なる丸いウエファース状のパンとぶどう酒に水を混ぜたものじゃないか…?、何が違うんだ?、と思いたくなるでしょう。

多くの教会では、おん血の拝領にはあずかれない場合が多く、キリストのおん体のみを拝領することが多いのです。

でも、やはりキリストのおん血の拝領もできると「ああ、確かに今日もイエズスさまに出会えたなぁ」と実感できる気がします。

イエズスのおん体とおん血になったパンとぶどう酒は、信仰において確かに罪のゆるしをもたらされました。それは、使徒ペテロの書簡にあるみことばに簡潔にあらわされています。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律づくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に作り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。(使徒パウロのエフェソの教会への手紙2:14~16)

ミサ聖祭の真の意義は使徒パウロが言われるように、十字架を通して神と人との間の敵意の隔ての壁を壊したこと、そして、神との和解と平和をもたらされた記念を日々、そして主日ごとに行うことにあります。

わたしたちは、ミサ聖祭という日常的な最後の晩餐の記念を通じて、神と人との敵意が滅ぼされたこと、神との和解と平和とは何かを体験するよう、招かれています。

ロザリオの祈り、光の奥義第五「最後の晩餐とミサ聖祭の制定」の一連の祈りを通じて、わたしたちがミサ聖祭を通じて実体験できるみ恵みに思いを馳せるとともに、ミサ聖祭を司式する司祭召命のために祈りましょう。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


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