フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • ブログランキング


    人気ブログランキングへ
  • 日本ブログ村

« 光の奥義第三:神の国を告げ知らせる | トップページ | 光の奥義第五:最後の晩餐とミサ聖祭 »

2018年8月31日 (金)

光の奥義第四:主の変容

(イエスが死と復活の話をしてから)八日ほどたったとき、イエスはペテロ、ヨハネおよびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリアである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムでとげようとしておられる最期について話していた。

ペテロと仲間はひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしていたとき、ペテロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリアのためです。」

ペテロは、自分でも何を言っているのか、わからなかったのである。ペテロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らは雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、「これはわたしの子。選ばれた者。これに聞け。」と言う声が雲の中から聞こえた。

その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時、誰にも話さなかった。

(ルカによる福音書9:28~36)

お元気ですか。しぇるりんです。(^-^)

ロザリオの祈り、光の奥義第四の「主の変容」の場面を、いちばんていねいに描いているのは冒頭のルカ福音書でしょう。

エジプトからイスラエルの民を導き出した「旧約五書(トーラ)」の主人公である預言者モーセ、そして当時のユダヤ人の慣習的なレビ族出身ではなく「天から声がして」預言者となったエリアの二人が、イエズスの死と復活について語る、という場面です。

Transfigurationraffaelo ペテロ、ヨハネとヤコブは、主の変容に同席した時「ひどく眠かった」とあります。現実のこととしてイエズスのご受難、十字架上における死と、ご復活について弟子たちは現実味を感じられなかったのでしょう。

未曾有の災害に遭った時、突然、素敵な出会いがあった時、人は容易に「そんなこと…まさか…」と現実を受け入れられず、拒否反応を示すものです。

イエズスを師といただいて間もない弟子たちにしてみれば、イエズスと共にいる日々が、洗礼者聖ヨハネと水の洗礼を受けた人々との関わりのように、年単位で続くものだと信じていたでしょう。

そんな弟子たちに、「イエズスは、なぜそこにおられるのか」を示されるため、父なる神は、イエズスのご受難、十字架上の死と復活について、「証し」を示されました。

弟子たちは、なぜ、どうして自分たちはそこにいて、イエズスがモーセとエリアと語り合う姿を見ているのか、まったく分からなかったからこそ、沈黙を保っていたのでしょう。


ペテロは、モーセのトーラ(旧約五書)が語る「天地の創造主、ただ一つの神」と、預言者エリアが語った「人々の信仰に応える救い主のおとずれ」が、「イエズスのご受難、十字架上の死とご復活」により、一つの神の教えとして新たな愛とゆるし、慈しみと希望の道を歩むのだ、ということを当時は認識していなかったのでしょう。

弟子たちもまた、自分たちの中で「ああ、実はこういうことだったんだ」と納得できる日まで、主の変容の奇跡については語らなかった、と冒頭のみことばにはあります。

弟子たちもまた、イエズスにただ従順に従い、当時は「何がどうなっているのだろう?」とそれぞれなりに悩みつつ、イエズスとともに見聞きしたことを、心に留めていたのでしょう。

それは、聖母マリアが弟子たちやイエズスと共にいながら、起こるできごとの全てを心に納めて、自分にできる手仕事に励んでおられたであろうことにも通じるかも知れません。


わたしたちもまた、日々の生活の中で主の聖霊が語られることに対し、「どうしたら、そうなるのだろう?そんなこと、私に起こるわけがない!」と思うような導きを受けることがあります。

主の聖霊の導きは、わたしたちの「その時、その場の考えや状況」などにはとうてい考えの及ぶものではありません。


わたしは小学校低学年の時に、その時の常識では「そんなこといくら何でもワタシには無理」と思う聖霊の導きを受けました。

当時は、子ども心にも絶対不可能なことにしか思えませんでした。が、その時が近づいているいまになってみれば「それが主の聖霊のみ旨であれば、できるかな?」と思えるし、それが必要なのかな?、とも思えるようになりました。

「主の変容」は、単にイエズスさまが「神のみ子」であることを弟子たちに示したのではないと私は思います。

むしろ、弟子たちにイエズスのご受難と十字架上での死とご復活が聖霊のみ旨であること、弟子たちの生涯を導く始まりであることを、イエズスさまはお伝えになったとのだと思います。

光の奥義第四「主の変容」を黙想し、わたしたちそれぞれに与えられる不可能とも思える聖霊の導きに向かって歩む勇気が与えられるよう、一連のロザリオを祈りましょう。


霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


人気ブログランキングへ

にほんブログ村←ポチッとしてください。励みになります。 ポチッとよろしく!

English blog is also available http://shelillelinnecatholictipoff.blogspot.jp/

定番の聖書なら→日本聖書協会《新共同訳 新約聖書詩編付》



わかりやすいと大好評のカトリック入門書



カトリック書籍と聖具は定価で買えるドンボスコ社HPからどうぞ!

ドンボスコ社ネットショップ





Helps meditation and lectio divina according to the Benedictine monastic spirituality.



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ<br/><a href=にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへにほんブログ村 カトリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
<
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←ポチッとしてください。励みになります。 ポチッとよろしく!





« 光の奥義第三:神の国を告げ知らせる | トップページ | 光の奥義第五:最後の晩餐とミサ聖祭 »

キリスト教エッセー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1671541/73893609

この記事へのトラックバック一覧です: 光の奥義第四:主の変容:

« 光の奥義第三:神の国を告げ知らせる | トップページ | 光の奥義第五:最後の晩餐とミサ聖祭 »