光の奥義第一:キリストの洗礼
(祭司やレビ人が洗礼者ヨハネに何者かを訊ねた)その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのはこの方のことである。私はこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」
そして、ヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、このかたこそ神の子であると証ししたのである。」
(ヨハネによる福音書1:29~34)
お元気ですか。しぇるりんです。(^.^)
ロザリオの祈りの中で「光の奥義(神秘、玄義)」は、聖ヨハネ・パウロ二世が2002年に発せられた教皇勅書「おとめマリアのロザリオ」で定められた、21世紀発のロザリオの祈りです。
それまでのロザリオの祈りには、季節でいうとキリストのご降誕を祝う「喜びの奥義」、四旬節の観想である「苦しみの奥義」と、イースター(復活節)を観想する「栄光の奥義」の三種類でした。
それ以外の季節を「年間」とカトリック教会では呼びます。
「年間第○主日」と<聖書と典礼>に書かれていて、特別に「主日より重要な大祝日」以外は、神父さまが主に緑色の祭服を着ている時期のことです。
「年間」では主の洗礼から始まって、最後の晩餐の時までの「イエズスの福音宣教の時」の朗読が読まれます。新約聖書で最も長いこの時期をロザリオで祈る奥義が足りない、と言うことで「光の奥義」は制定されました。
「光の奥義」により、私たちは長い「年間主日」の流れをロザリオで簡潔に祈れるようになりました。
そこで、今日は光の奥義第一の「キリストの洗礼」を冒頭のヨハネ福音書にある「洗礼者ヨハネの立場で語ったキリストの洗礼」に想いを巡らしたいと思います。
冒頭の聖句では、「喜びの奥義第二」で観想した「おとめマリアのエリザベト訪問」のアフターストーリーが「光の奥義第一」の「キリストの洗礼」であることが簡潔に語られています。
「おとめマリアのエリザベト訪問」ののち、神殿祭司ザカリアの長子として教育を受け、洗礼者聖ヨハネは、ヨルダン渓谷付近で禁欲的で修道的な生活を送る一種の「ヨハネ教団」的なグループのリーダー、また当時は有力な預言者の一人だと考えられていたと推測されます。
一説には「死海文書」が見つかったエッセネ派の「クムラン教団」は、洗礼者聖ヨハネが始めたとも言われています。
一方、ごく普通の大工の妻であった聖母マリアと大工の聖ヨセフの子として育ったイエズスは、ご両親に従順に従って大工の修行をし、ナザレの大工になられました。
洗礼者聖ヨハネは、イエズスにあって初めて「この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た」と、自らの使命を言い表します。
マルコによる福音書では、「イエスは、ガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中からあがるとすぐ、天が裂けて、“霊”が鳩のようにご自分の上に降って来るのを、御覧になった。すると「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえた(1:9~11)」とあります。
イエズスの受洗、はとても重要なテーマです。
四人の福音記者がそれぞれ、「キリストの受洗」ほど異なる表現をしている場面は少ないです。
マタイによる福音書3:13~17によれば、洗礼者聖ヨハネ自身が「わたしこそ、あなたから洗礼を受けなければならないのに、なぜ、わたしがあなたに洗礼を授けるのですか?」と逆に洗礼者聖ヨハネが問いかけたという逸話が登場します。
一方、ルカによる福音書では洗礼者聖ヨハネの行いと(当時の)ヘロデ王に捕まった顛末を詳細に書き記した上で、「イエズスはヨハネから洗礼を受けられた」と簡潔に記しました。
おとめマリアとエリザベト、それぞれの母の胎内に宿っておられた時以来の再会を果たした、主イエズスと洗礼者聖ヨハネ。
イエズスは神の子でありながら、人間として洗礼者ヨハネの水による洗礼を受けられました。それは、イエズスと共に水による洗礼を受ける全人類が、聖霊のたまものとみ恵みを受けるためです。
洗礼者聖ヨハネは、ナザレのイエスに水による洗礼を授けたのち、自らの弟子に「見よ、神の子羊だ」と言います。その声を聞き、そこにいた二人の弟子はイエズスに従います。二人のうち一人はシモン・ペテロの兄弟であるアンデレでした。アンデレは、ケファ(岩)と呼ばれたシモン・ペテロをイエズスと引き合わせます。
その後、「時の預言者」として民衆に人気のあった洗礼者聖ヨハネは、領主ヘロデが兄弟の妻へロディアを略奪婚したことなどを非難したということで捕まり、死刑に処せられます。
キリストは洗礼者聖ヨハネから、水の洗礼を受け、父なる神の遣わされた聖霊を通じて、聖霊の火の洗礼をも同時に受けられました。
この一連の事柄を通じて、洗礼者聖ヨハネもまた聖霊のたまものの証し人となり、殉教者の先駆けともなりました。
イエズスが水の洗礼により主なる神の良き知らせを伝える、福音宣教の旅を始められたまさにその時、洗礼者聖ヨハネは、祈り、観想、読書の禁欲的な修道生活、祈りに専念する奉献者の集団生活の原始的形態をかたちづくって行かれました。
その集団生活の形態が、後日、キリストに招かれた人々の教会共同体形成のための「隅の親石」となったことを忘れてはなりません。
父なる神は、独り子であるイエズスを世にお遣わしになり、み神のメッセージのすべてを託されました。と同時に、洗礼者聖ヨハネには、教会共同体生活の模範を示すこと、最初のイエズスの弟子たちを奉献生活にふさわしい人々となれるよう指導する人として導かれたようにも見えます。
すべてのキリスト者は、それぞれの人生の中でそれぞれの神の導きに従い、イエズスの教えを伝え広めるべく招かれています。
洗礼の秘跡を受けた時のみ恵みを深く思い、キリストの洗礼をロザリオの聖母と聖ヨセフの執り成しを通じてロザリオで祈りましょう。
霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。
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