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« 喜びの奥義第三:イエズスのご降誕 | トップページ | 喜びの奥義第五:神殿でイエズスを見出す »

2018年8月14日 (火)

喜びの奥義第四:イエズスの奉献

さて、モーセの律法で定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に捧げるため、エルサレムにつてれ行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主に聖別される」と書いてあるからである。

…そのとき、エルサレムにシメオンという人がいて…主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とお告げを聖霊から受けていた。シメオンが「霊」に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は幼子のために律法の規定どおりに生贄を捧げようとして、イエスを連れて来た。

シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

「主よ、今こそあなたは、お言葉のとおり

 この僕を安らかに去らせてくださいます。

 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

 これは万民のために整えてくださった救いで、

 異邦人を照らす啓示の光、 

 あなたの民、イスラエルの誉れです。」

(ルカによる福音書2:22~32抜粋)

お元気ですか。しぇるりんです。(^^)

今日は2018年8月14日で、アウシュビッツの聖人、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ殉教司祭の祝日で、明日、8月15日は被昇天の聖母の大祝日です。

「わたしのことは忘れてください。ただ、けがれなき聖母のことだけを思ってください」と言われたコルベ神父さまのお言葉が身にしみます。

また、日本が先の大戦で敗戦を迎えたのも、奇しくも聖ザビエルが鹿児島に上陸したのと同じ8月15日でした。

当時の横浜教区長であった戸田帯刀神父さまは「無原罪の聖母の祝日に始まった戦争は、被昇天の聖母の祝日に終わるだろう」と仰ったと伝えれています。

ホントなら8月14日に迎えるはずだった「日米停戦の日」は8月15日に諸般の事情で繰り延べになったようです。

聖母の執り成しを願ってロザリオを祈り続けることの大切さを深く感じます。

さて、イエズスがお生まれになったのはベツレヘム、神殿で奉献されたのはエルサレムです。直線距離だと20キロぐらいです。生まれたばかりの幼な子を連れた旅は、イエズスの奉献から始まります。

ベツレヘムで清めの期間を過ごした聖家族は、エルサレムでイエズスを初子として神殿で奉献します。

その時、神殿で聖マリアと聖ヨセフはシメオンという司祭に出会い、《教会の祈り》の寝る前の祈りにある「シメオンの歌」をうたいました。冒頭のみ言葉にある「主よ、今こそあなたは、お言葉のとおり…」の部分です。

また、シメオンは聖母マリアに「ーあなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」と語ります。

ここから、ルカによる福音書では「聖家族は人々の祝福を受け、ナザレに帰った」とあり、マタイによる福音書では「ヘロデ王の虐殺を避けるため、聖家族はエジプトに避難して難民として暮らし、前王の死去ののち、ナザレに戻った」と2パターンのお話があります。

聖家族は穏やかにナザレの地で大工ヨセフの一家として過ごしたのか、それともエジプトに難民として逃げ延び、日雇い大工の家族として流転の日々を生きたのか。

↓フェデリコ・バルバッチの「エジプトへの逃避途中の休息」

Fedelicovalotti

聖画的には、だいぶイメージが変わるあたりです。わたしは、世界中で大勢の難民が出ている現状を考えると、やはり絵的には「喜び」のイメージから遠くとも、後者のイメージの方がぴったり来ます。

「ーあなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」というシメオンの言葉が、聖母マリアと聖ヨセフの中で、じっくりと幼な子イエズスを育てつつ、親として主なる神に育てられていった。そんなイメージには「難民となった聖家族」の方が、私の中ではしっくり来るのです。

また、幼いイエズスとって、おん自ら一人の避難民の子となり、当時の同年代の子どもらの中でも決してラクではない難民生活の日々を、慣れぬエジプトの地で送られたことで、人類と世のあがないのいけにえとして、神殿で奉献された人生を歩み始められた、とも言えましょう。

幼な子であられたイエズスは、学びの機会も与えられず、ただ聖母マリアと聖ヨセフがそうであったように、父なる神、聖霊との親しい語らい、祈りと教えだけを頼りに異邦人の中で幼少時を送られました。

生まれた時から、異邦人と当時のユダヤ人が呼んでいた人々の中に、父なる神のみ恵みを感じ、育って行かれた主イエズスと、苦難の道を信仰の光だけを頼りに歩まれた聖家族に倣いましょう。

私たちもまた、水の洗礼を受けた時、または洗礼を受けるずっと前に主の聖霊のみ恵みと導きをいただいた時から、主イエズスが共に歩いてくださった道を振り返り、明日からの道を希望の中で歩めるよう、聖母マリアと聖ヨセフの執り成しを求めてロザリオを祈りましょう。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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