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« 信心業としての九日間の祈り「ノベナ」 | トップページ | 「信じる者は救われる」のか? »

2018年7月20日 (金)

キリスト者にとっての巡礼の旅、人生の旅

旅には袋も、二枚の下着も、履き物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこでふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。

その家に入ったら「平和があるように」と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるのにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。

(マタイによる福音書10:10~13)

お元気ですか。しぇるりんです。(^。^)

イエズスさまは有名な山上での説教ののち、使徒たちに悪霊をはらい、人々を救う聖霊を下さり、福音宣教のための小旅行に行かせました。

まるで、イエズスさまが亡くなった後、使徒やみ弟子らが、聖霊のみ恵みだけを信じ、主イエズスを告げ知らせる生涯の巡礼の旅を送る日々のため、現代風に言えばオリエンテーションをされたようです。

その時、旅路に当時の考えで当たり前の最低限のモノすら持つな、とイエズスさまは言われました。

モノを信じることなく、父なる神への信頼だけで旅をするよう勧められたのです。

長崎、天草地方の潜伏キリシタン教会群遺産など、有名どころの巡礼地に旅行で訪ねて、キリスト教に出会った方も多いかと思います。

また、津和野の乙女峠にも、「乙女峠のマリア聖堂」があり、浦上四番崩れで拷問を受け、地下牢に監禁された安太郎という潜伏キリシタンに聖母マリアのご出現があった、と伝えられ、毎年「乙女峠祭」が行われています。

ヨーロッパ旅行に行って、たまたま聖地の教会にツアーの途中で訪れた方も多いでしょう。

↓西坂の26聖人像(舟越保武氏製作)

015_002 巡礼とは、信仰と出会う小さな旅のようなものであり、神といのち、いのちといのちが出会い、時にたもとを分かつ人生の縮図なのかも知れません。

どんな巡礼がきっかけであれ、小さな旅に主イエズスとけがれなき聖母マリアとのまことの出会いがあれば、わたしたちの人生の旅に小さな祝福と平和が訪れるでしょう。

明日のいのちが知れないほど、不安な時代になりました。災害も頻発し、人災、自死が増えています。「世に身近な人間ほど恐ろしいものはない」としか言いようのない時代になってしまったのです。

だからこそ、イエズスは「そこでふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい」と言われたのでしょう。

私たちは、それぞれに一番ふさわしい人生という名の巡礼の旅を歩くよう主イエズスに招かれています。そしていちばんふさわしい人をよく見極め、その人のもとにとどまりなさいと言われたのでしょう。

なぜ、どうしてその時、その道を往き、その場に出会い、その人に出会ったのか、私たちは後から考えれば「ああ、なるほどな」と自ら来た道を回想することは出来るかも知れません。

しかし、いま、この場で「どうしてここに、こうしているのか?」を明確には説明もできないし、理由もわからないでしょう。

だからこそ、けがれなき聖母のみ心、神のみ国にあっていまも私たちとともに十字架の苦しみを担われる主イエズスに全てをお任せして、自分が信じる今日の道のりをあゆむため、最善を尽くすため、一日一日を大切に、愛をもって過ごすことが大切です。

千日を一日のごとく同じように働く方、病いを抱えて療養される方、学校に通う方、不登校や引きこもりの方、転々と旅をしたり、転職や転勤をされる方など…それぞれの人生の中で、「今日一日の旅路」があると思います。

今日一日の旅路が安らかなものであれ、苦しみや困難の中にある日であれ、一歩も前に進んでいる気になれない日であれ、後戻りしているようにしか思えない日であれ、けがれなき聖母に祈り、巡礼を旅する主イエズスとともに、聖霊とともに生きるなら、後日、何かしらイエズスの愛にとって価値ある一日であったことに気づくでしょう。

夏休みも近づいて来ました。長崎、天草地方などの聖地巡礼の旅に行ってみるのいいでしょう。

どうかその時、江戸時代の有名、無名の殉教者らと潜伏キリシタンの信仰に想いを馳せてください。

私たちのたましいをキリストに導いてくださり、世に光をもたらそうと祈り続けた方々です。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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