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2018年7月17日 (火)

信心業としての九日間の祈り「ノベナ」

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

被災や敗戦などの記念日などに「黙祷!」と1分ほどじっと目をつぶる行事に、時々出くわします。

あの「黙祷!」は、被災や敗戦などが自分自身の体験であれば、思わず想い浮ぶ何か、があるでしょう。でも、不思議なぐらいあの「黙祷!」の号令がかかると、頭の中が真っ白になり、何も想い浮かばなくなります。

おそらく「黙祷!」は、私たちが主と向き合って語り合う「祈り」とは本質的に違う何かだからなのでしょう。「黙祷!」には、心の内面の自由を阻む何かが潜んでいるのかも知れません。

↓「潜伏キリシタン教会群遺産」の一つ、カトリック黒島教会の聖堂内。祈りの場に相応しい静けさ。

Kuroshima003

その点、私たちが主イエズスに、けがれなき聖母のみ心を通じて、守護の天使のとりなしを通じて、聖ヨセフの執り成しを通じて「祈る」ことは、霊的で活き活きとした家族的で親しい対話です。

カトリック教会には「九日間の祈り=ノベナ」という祈りを行う習慣があります。

大祝日の前に、また、受験や人生の決断を下す前に「九日間、自分が選んだ信心業を続けて見る」ことを指します。

一般的に信徒の多くは、受験合格、就職、恋愛成就、結婚、帰省、お金が必要など、ごく現実的、かつ平凡な「お願いマリアさま!」的なノベナを行うことが多いです。

しぇるりんは実際、二十年近く前に「マリアさま、正社員の定職に就かせてください」と九日間の聖体訪問と朝ミサのノベナを行ったことがあります。

しぇるりんの通うカトリック教会は自転車で20分近くかかるので、早朝のミサに毎日、は辛かったです。

因みに、マリアさまはしぇるりんに特別に慈しみを下さるよう執り成してくださったせいか、私の生まれて初めてのノベナの7日目には小さな貿易会社に就職が決まってました。まるで、奇跡のように「何となく」決まったのです。

もちろん、ノベナは9日間、続けました。就職が決まってからの2日間はお礼のため、そして、それまで信心業をしてこなかった事への償いのためでした。

九日間の祈り、としては色々な祈りが紹介されています。前回のブログでご紹介した「不思議なメダイ」の「けがれなき聖母マリアへの九日間の祈り」も素晴らしいです。

また、聖ヨセフへの九日間の祈り、九日間のご聖体礼拝など、種類もさまざまです。

修道会や宣教会などでは、大祝日や灰の水曜日、個人の召命について悩んでいる時などに、ノベナを行います。

霊性の進歩のために修道会や信心会全体でノベナを行う場合などには、「九日間の祈り」という期間が重視される傾向があるようです。

その点、司祭や修道者であれ、信徒個人であれ、何かの切実な願いがあってノベナを行う場合には、「九日間」という期間より、聖母マリアや聖ヨセフ、イエズスのみ心や聖母のみ心にその願いを「ノベナの祈り」を続けることで、「九日間」という日数にとらわれることなく主なる神に伝え続けていくことの方が大切なように思われます。

もし、「生まれて初めてノベナをしたい!」と思うのでしたら、自分に出来そうな長さのものを選んだ方がいいでしょう。また、体力的に無理は禁物です。

以前、神社神道を崇敬される方が、息子さんの受験合格を祈願するため、お百度参りを試みたことがありました。

鳥居から拝殿まで100メートルあるかないかの神社で行ったのですが、(100mx2回(往復)x100回=およそ20kmを歩くことになる、を考えてみなかったらしく、足腰が痛くなって30回ぐらいで挫折した、というお話を拝聴したことがあります。

彼女の母としての志は尊いと思いましたが、フルマラソンですら43.195kmです。ほぼハーフマラソンに近い距離をふだんから歩き慣れていない主婦が半日足らずの間に徒歩で踏破するには無理がある、と私は思いました。

ノベナも同じことで、体力的にも、時間的にも無理のない範囲で行うことで、主イエズスの愛といつくしみにじっくりと触れ合うことができるのだと思います。

もちろん、聖母のみ心がとりなして最善と思われれば、まるで奇跡であるかのように個人的な願いを叶えていただけることもあります。

ですが、聖母が私たちに本当に望まれているのは、主イエズスの愛と慈しみ、ゆるしと功徳への望みと信仰に、わたしたちが目覚め、信仰を深めたい、誰かに福音の善いしらせを想いで、言葉で、そしてできれば行いで伝えたいという気持ちになることです。

先日の大阪北部地震の時、ツイッターで「子どもを抱いたまま捻挫した時、子どもを抱いて避難所まで歩いて下さったXX駅方面に勤務の女性の方、ありがとうございます。どうか感謝の気持ちが伝わりますように」という心温まる投稿がありました。

デマが流されるなど何かと非難されがちなSNSも、私たちが意識していても、していなくても主の愛と慈しみを行うなら、善意ある媒体となれるものだと感心しました。

聖カタリナ・ラブレが小さな主の伝達者としての使命を、まだ若く、短い年数の間に終え、その後はご自身が不思議のメダイの聖母のけがれなきみ心に祈りつつ、「祈り、働く」人生を終えたように、私たち信徒もまた、主の小さな道具として誰かに主イエズスを伝え、明日の世代に主の愛といつくしみを継承するため、召されているのです。

どのような災害や悲嘆の中でも、わたしやあなたの心から祈りを取り上げることなど、誰にもできません。

「けがれなき聖母のみ心、わたしたちのためにお祈りください」。

まず、この短い祈りを一日一回、主の愛といつくしみに信頼して心の中でとなえることからはじめて見ましょう。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


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