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2018年7月 6日 (金)

聖母マリアの「ご出現」考

ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。

イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしを見ることはできないのか。

よこしまで神に背いた時代のものたちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。そして、イエスはかれらを後に残して立ち去られた。

(マタイによる福音書16:1~4)

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

第二バチカン公会議後の教会刷新が進み、単に典礼や聖歌の国語化や土着化、地域ごとに違う霊性への理解と一つのローマ教会としての改革は、この半世紀の間に飛躍的に前進しました。

21世紀になり、過去の人間的なあやまちであった聖職者による幼児虐待、性虐待などの真実も徐々に明るみに出されつつあります。

まさに、主イエズス・キリストの御血と御からだを聖餐式で司祭が顕示するように、自らの罪をあらわし、償いと回心を呼びかける教皇フランシスコの呼びかけは、私たちキリスト者を新たな信仰の地平へと、社会的な次元での刷新へと招いておられるようです。

さて、十九世紀~二十世紀にかけては、今世紀と違い、聖母のご出現がとても多い時代でした。ルルドの聖母さま、貧しい三牧童にご出現になったファティマの聖母さまなどは、「教皇庁公認」の聖母のご出現です。

真性の聖母のご出現が認められるには、カトリック教会の教えに基づく、いくつかの条件を満たす必要があります。

まず、教父時代に遡るカトリック教会の教えが、時代や人々の認識の変化従い、新しい信心の概念として聖母ご自身が語られたと考えられるものです。

「被昇天の聖母」、「けがれなきみ心の聖母(無原罪の聖母)」、「聖母のみ心の信心」など、聖母マリアさまの本質を以前より明確にする何らかの動機づけとして「ご出現」があった場合がこれに該当します。

次に、時代や特定地域の要求を受け入れ、聖母のご出現を公的に認めるべきだと教皇庁で判断、という条件も満たす必要があります。

この場合、単に聖母のご出現が認められるだけではなく、それに伴って聖母が求められた祝日や大祝日の制定(イエズスのみ心の主日、無原罪の聖母の大祝日など)や、ミサ奉献文と「教会の祈り(カトリック教会の勤行のようなもの)」の変更が全世界に公示されます。

また、在位中の教皇が勅書を発行し、場合によっては聖母のご出現を伝えた男女の列尊、列福、列聖調査の開始、または進展が伴うこともあります。

つまり、誰かが「あそこで聖母のご出現があったぞ!」などと、個人やご出現に陶酔した集団が勝手に決めつけられるものではないのです。

1980年代に「ホワイトペブルと、沖縄の小さき花のテレジア破門騒動」というのがありました。カトリック教会の教えに背く騒ぎを起こす「自称、ご出現を受けました」系の騒動の一種です。当時、主導者の数人がカトリック教会から破門され、その後は新宗教活動を行なっているようです。

その手の騒ぎを未然に防ぐため、カトリック教会は密接なヨコのつながりを保ちます。そし、て使徒伝承であり、教父の時代から揺るがぬ隅の親石を抱くカトリック教会の教えに、新宗教の派生、または他の新宗教や政権などからの余分な横ヤリが入らぬように努力しています。

↓秋田聖体奉仕会修道院で涙を流された頃の「すべての民の聖母」像(仏師、若狭三郎氏製作)

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ただし、地域や教区などで、司教区内で「聖母マリアさまへの崇敬を高めるに値する」と認められる「ローマ教会全体では非公認だけど、聖母マリアさまへの崇敬を表すのはOK」な事例があるます。

日本国内では1970年代~1980年代に涙を流された「秋田の聖体奉仕会の聖母さま」が有名です。秋田の聖母さまのメッセージは、「司祭のマリア運動」のメッセージによく似たものだったと言われています。

それ以外に、司祭、修道者、信徒個人の祈りの功徳が行われることも、時にあります。特にキリスト者にとって生きづらい社会的状況の上で、やたらと「個人の信仰」を強調されやすい日本のカトリック教会では、祈りの功徳、奇跡のみ恵みを「個人的に」体験した方はとても多いでしょう。

聖母がわたしたちの個人的な願いや祈りをお聴きになり、主イエズスに執りなして下さるのは、人でありながら原罪を免れてお生まれになり、神の子であるイエズスの母として神と人と教会の礎となり、すべての民の御母となられたからです。

ローマ教会全体であれ、各地域や教区であれ、一人一人の個人に対してであれ、主の聖霊は聖母マリアさまと諸聖人聖女の執り成しを通じ、最善の道へと私たちを招いておられます。

聖母マリアさまは、使徒伝承の教会の時代から、天に上げられ、父と子と聖霊に絶え間なく教会共同体全体のため、地域や特定の文化に生きる司教区のため、また全ての地上を旅する信徒や人類の一人ひとりに至るまで、すべての人々のため祈りを執りなしておられます。

わたしたちは、聖母マリアさまを通じてつい、目に見える奇跡やしるしを求めたがります。

もちろん、わたしたちの些細でごく日常的な願い、「仕事をください」「結婚したい」「病気を治してほしい」などの個人的な願いを、わたしたちを信仰に目覚めさせ、目覚めた信仰を深めるために、聖母マリアさまが叶えてくださることはあります。

それは、個人の欲望を叶える、というしるしを下さるためではないと思います。

「よこしまで神に背いた時代のものたちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」と冒頭の聖句にあります。

ご存知の通り、ニネベの街に行き「回心して、悔い改めなさい」とヨナは命じられますが、ただのおっチャンでしかないヨナは、どうにもマジでその気になれず、一度はタルシシュという街に逃亡を謀りましたが、それでも逃げきれませんでした。


内心もやもやしたままニネベ行きの船に乗りますが、主は嵐を送り、ヨナは船から海に投げ込まれ、大魚のお腹の中で過ごします。闇の中で「わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは主にある」と回心します。

こうして主は魚にヨナをニネベの街に吐き出させ、ヨナは「主に向かって回心し、悔い改めなさい」と信仰をもって街中を練り歩き、ニネベの街は悔い改めました。

しかし、ヨナはこの一連の行動から何も得るものがなく、主に不満を訴えました。

主は「わたしはニネベの街の人々や家畜を救いたかったのだ」と言って、ヨナの個人的な願いは叶えてくださいませんでした。

聖母マリアさまの御出現も、ある意味、ヨナのしるしに似ているのかもしれません。

それは、私の願ったものと少しだけ違っているのかも知れないけど、聖母さま的にはイエズスさまがいちばんわたしやあなたに相応しいと下さったものなのです。

いつも、「○○のために祈ります」と聖母の執りなしを求めて、アヴェマリアの祈りを唱えましょう。それぞれに必要なものは決して拒むことのない聖母は、私たちの祈りをいつも聴いておられます。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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