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2018年6月 1日 (金)

サンサルバドルの英雄、福者オスカル・ロメロ大司教

お元気ですか。しぇるりんです。(^。^)

2018年10月にサンサルバドルの英雄とたたえられた福者、オスカル・ロメロ大司教の列聖が決まりました。

日本ではあまり知られていませんが、チェ・ゲバラ氏などが南米大陸に大きな影響力を持っていた1970年代、他の南米の国々以上に、エルサルバドルは混乱の真っ只中にありました。

その当時、主に南米での独裁政権時代、右派と左派の対立が暴力の嵐を呼んだエルサルバドルで、解放の神学という「民主主義政治を求める市民に対し、教会共同体は支援をすべきだ」という考え方を実践したオスカル・ロメロ大司教については、その政治的だとみなされた活動が足かせとなり、列福、列聖に時間がかかったようです。

ある意味、重なり合う時代を生きながら、ロメロ大司教が教皇フランシスコと違う道を歩まざるを得なかった要因は、福者オスカル・ロメロ大司教が保守的な修徳神学の学者でありながら、貧しい家庭での辛い労働に病弱な身体で耐え抜いた方であり、教区司祭出身であったこと、そして南米でもっとも過酷な独裁政権の真っ只中に置かれたからだと、私は思います。

教皇フランスシスコ、往時のベルゴリオ神父はイエズス会士であり、イエズス会の修練長も歴任されたため、解放の神学の最先端を突っ走る若い司祭や修練者と常に共に行動してなお、自然な立場でした。

その点、ロメロ大司教は教区司祭出身でありながら、イエズス会士で、彼の個人的な友人であり、貧しいカンペシノ(農民)の自助グループの結成を支えてきた、ルティリオ・グラン師が暗殺されたことへの調査を当時の政権そのものに訴えかける、という形で解放の神学との関わり合いが始まったことが、世界的に理解と誤解を生んだ原因になったことは否めません。


↓神のしもべ、福者オスカル・ロメロ大司教(2018年10月に列聖)

1440pxscar_arnulfo_romero 989年の映画「ロメロ」の中で描かれた福者オスカル・ロメロ大司教には、保守的であるがゆえに、真面目かつ真摯に第二バチカン公会議の指針に忠実でありたいからこそ時の政権への抗議と信徒の平等という理想を行おうとした意向が垣間見えるシーンが出てきます。

農政改革に非常に熱心な官僚の夫人が、ロメロ大司教に我が子のために「貧乏人の子ども達とは別に個人で堅信式(または初聖体)を行って欲しい」と願うシーンがあったと記憶しています。が、ロメロ大司教は「秘蹟にあずかる者に、貴賎はない。富裕層の子女のために、別途の式を行う気はない」と突き放してしまったのです。

この点、教皇フランシスコ、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ神父の対応は、全く対照的なものでした。映画「ローマ法王になる日まで」のシーンにあったように、富裕層の望みを断ることがキリストの愛の教えに逆らうと思えば、富裕層の個人チャペルでのミサ司式もあえて断らない柔軟な対応を取ったようです。

もちろん、アルゼンチンに比べ、エルサルバドルは今も往時の内紛の傷跡が癒えぬ地域であり、治安状況もよくないです。

その違いを肌身に染みて理解する教皇フランシスコだからこそ、当時のロメロ大司教の対応がサンサルバドルでは必要だったと認められ、今回の列聖につながった可能性はあります。

「当時は、政権と大司教の対立も致し方なかった。ロメロ大司教が政教分離の原則を崩そうとしたり、カトリック教会の教えに反する行動を取ろうとしたのではない」と言う見解は、1960~1990年代の民主化闘争、民衆闘争の時代を振り返ることができるだけ十分な時間が経ったから、だとも言えましょう。

実際、ロメロ大司教は、司祭としては、アルコール依存症患者の自助グループの支援、平和の聖母信心会の創設など、聖なる司祭に相応しい穏健な活動をして来た方です。

それが、往時のエルサルバドル独裁政権のあまりの過酷さに耐えかね、政権そのものと対峙して弾圧を受ける人々の立場で訴え、当時の教皇ヨハネパウロ二世にエルサルバドル政府とバチカンとの関係や距離感を考慮してくれるよう上訴した点などが、「あまりに過激に解放の神学的」だと評価される原因となったわけです。

また、1979年にノーベル平和賞候補に上がったことも、ロメロ大司教が「世俗的すぎる」と言われた点かも知れません。結果として、同年のノーベル平和賞受賞者が聖マザーテレサだったことは、カトリック教会にとってある意味、皮相な結果でした。

ロメロ大司教は、その後カトリック教会以外の教会でもエキュメニカル運動の中で、「民主化と民衆のために尽くした殉教者」として世界的に認められて行きます。

病院のチャペルで聖餐式の真っ只中に銃で撃たれたと言われ、その葬儀はサンサルバドルの「暴動」と看做され、更に40人以上の死者が出たこと…など諸々の事柄がロメロ大司教を「民主化の聖人」に仕立て上げていったようです。

1960年代~1990年代まで、民主化運動が日本赤軍などの「サヨクの悪行」に矮小化された日本以外の多くの国では、基本的人権の実践、男女差別、障害者差別の撤廃、優生思想の全面廃止、国民主権の実践、必要な国では公民権の獲得など、民主化とヒューマニティーへの多くの課題に、民衆の一人ひとりが社会をあげて立ち向かっていました。

暴動、事件、非常事態宣言がなされ、戒厳令という言葉が世界の随所で聴かれたあの時代にあって、ロメロ大司教は真面目すぎるくらい真面目に、貧しい人、弾圧される人々と向き合い、いのちを捧げました。

いま、天国で自らの列聖式を見るであろうロメロ大司教は、21世紀の世界をどうご覧になっているのか、気になります。


おそらく、世界中に再び戦禍が広まりかけている現状を憂慮し、平和のため、聖母マリアさまの執り成しを求めて祈っておられるでしょう。

サンサルバドルの英雄は、平和と祈りにいのちを捧げた英雄でもあったと思います。教皇フランシスコの意向に従い、シリアの平和のため、またわたしたちそれぞれが自らの十字架を担いつつ歩む日々を平和の祈りに捧げられるよう、願ってやみません。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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