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2018年6月29日 (金)

長崎の潜伏キリシタン教会群、世界遺産登録への想い

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

私は長崎の潜伏キリシタンの方々の、先祖代々のカトリック信仰に対する思い入れについて、あまり知りません。

主に明治維新以降のキリスト者だった先祖の祈りと、個人的な動機で主イエズスに招かれた私が、潜伏キリシタンの子孫の方々の強い信仰に心情的に共感できるとすれば、同じイエズス・キリストの聖霊に導かれ、召され、これからも世の終わりまでこの信仰をひとのいのちの糧として継承し続ける、同じカトリック教会共同体の一員としての共感です。

信徒発見の際のいのちを投げ出して「ワタシノムネ、アナタトオナジ」とプチジャン神父に語った、潜伏キリシタンの深く勇敢な信仰に倣いたいという想いです。

私はまだ、長崎巡礼に行ったことがありません。今まで、何となくきっかけがなかったからです。

潜伏キリシタンは、1622年の元和の大殉教で亡くなった司祭マンショ西を最後に、司祭なしに七代の間、紆余曲折はあっても洗礼を授ける水方、司祭役を行う指導者と小さな集落の結束で、二世紀以上もの間、司祭なしにローマ教会の教会共同体を信徒だけで、数々の弾圧を超えて支えて来ました。それは、祈りと主への賛美の歌に支えられた、二世紀以上に及ぶ天使のパンなき奇跡です。

聖フランシスコ・ザビエルが1549年8月15日、聖母被昇天の大祝日に鹿児島に上陸したため、聖ザビエルは日本を聖母マリアに捧げました。

その後、主にイエズス会士が何かに招かれるように、現在の長崎県の離島地域への宣教に心血を注ぎました。

ルイス・フロイスの《日本史》第六巻によれば、当時、ポルトガルやスペインで流行っていた「ミゼリコルジアの組」などの「信者と信心を結びつける組織作りの方法論」を広めたこと、聖母マリアのとりなしで主イエズスの愛がこの国に広まるよう、ご受難の朗読を少年が読み上げたのち、主の祈りを5回、アヴェ・マリアの祈りを5回唱える信心を勧めた、とあります。

ひとの心に根ざす信仰の継承は、神を信じ、人を信じることから初まり、終わります。

聖霊の働きは、人の心では決して人の心では計り知れないものです。どのような政治的弾圧の下にあっても、主の聖霊の働きかけを人のたましいから消し去ることはできません。

潜伏キリシタンは表面上は仏教徒を装い、神道の神社に帰属するフリをしつつ、神社の分社を「潜伏キリシタンの実質的教会」にしたり、閉鎖的な集落を築き、なるべく外の世界から距離を置ける離島への移住などで、その信仰を守り通しました。

↓頭ヶ島のキリシタン墓地(世界の歩き方webよりお借りしました。)

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長崎の潜伏キリシタン教会群の遺跡で目を引くのは、海の彼方から見える石の十字架の墓地です。

最初にカトリックの教えが日本に渡来した際、たまたま通りすがりの司祭や修道士から洗礼を受けた民衆が大勢いたことが、フロイス神父の上掲書に書かれています。

司祭も修道士も通りすがりに数日の宿を借りた集落なので、常駐することはできませんでした。そこで、木で十字架をつくり、ご受難のキリストに祈るよう、主の祈りとアヴェ・マリアの祈りを教えたとあります。

十字架は、潜伏キリシタンの心の支えになりました。小さな木の十字架なら、小さな木の切れ端でも作れます。

形ある十字架は時に没収されることもあったし、遠藤周作氏の《沈黙》の映画の一場面のように、名も知れぬ殉教者らと共に水没もしたでしょう。

でも、潜伏キリシタンの心に聖霊のみ恵みが刻んだ主イエズスの十字架は、何の木の切れ端で作ったものであれ、司祭の祝福を受けることは出来なかったとしても、聖霊の祝福により日本の教会の礎となったのです。

もちろん、長崎はオランダとの交易の地である出島にも近く、オランダ人船員の中には敬虔なプロテスタント信徒の人がいて、密かにカトリックの聖具や聖画を欧州の寄港地で買い求め、潜伏キリシタンに贈ることもあったようです。

また、日本の仏画の画家が、個人的な依頼に応じてキリシタン聖画の模倣図を描いてくれることもあったようです。

日本の潜伏キリシタンの教会共同体の存在は、江戸時代の間、欧州では広く知られていました。

1714年に江戸の小日向にあった「キリシタン屋敷」で46歳で亡くなったシドッチ神父は、当時の日本の碩学であった新井白石と対話し、カトリック教会の宣教活動は日本の社会や治安を乱そうとするものではなく、あくまでもキリストを信じる信徒の司牧のためであるので、徳川幕府の司祭受け入れを望む旨を話したと言われています。

江戸時代の国際的儒学者であった新井白石は、シドッチ神父が語った来日への由来に一定の理解をしめし、白石はシドッチ神父をマニラ経由で帰国させるのが外交上の上策と進言しました。

徳川幕府は、シドッチ神父の帰国が欧州諸国との対話を再度迫られる要因になることを恐れて、白石が中策と言った「軟禁して宣教活動のみを禁ず」を選びました。

軟禁状態なので、特に不自由はなかったようですが。シドッチ神父はキリシタン屋敷で自分の世話をし、心から洗礼を望んだ故に世話人夫婦に洗礼を授けた咎で地下牢入りとなり、この二人と共に衰弱死したと見られています。

日本における江戸時代のカトリック教会への激しい弾圧と迫害は、ローマ教会を起源とするキリスト教諸宗派が使徒と弟子たちがローマ帝国の迫害により旅を余儀なくされたことが、聖霊の導きである「福音宣教」そのものになった、というローマ教会の在り方への無理解が原因です。

いまも日本社会では、キリスト者がキリスト教の信仰を持っている人に対して、とても懐疑的な穿った見方をする人にしばしば出会います。

江戸時代の迫害と殉教は、主に目に見える形であらわれました。西坂の26殉教聖人へのあからさまな暴力、暴言、脅迫、その後も続くキリシタンへの極端なリンチ行為は、虐待を受ける信徒の信仰心を更に内在化させ、加虐する人々の心からその人々の神社仏閣での信仰心を凍りつかせる効果があったと言えるでしょう。

江戸末期の開国前に起きた1867年の「浦上四番崩れ」の後、キリシタンの多くは金沢など北陸の諸藩に「隔離」されました。長崎は出島に近く、諸外国がキリシタンの釈放を願い、嘆願が絶えなかったためです。

外国人居留者のために1864年に献堂された旧浦上天主堂の主任司祭であったフランス宣教会のプチジャン神父は、長崎の潜伏キリシタンの動向を、本部への書簡や、ミサに訪れる外国人信徒らに説教を通じて知らせており、外交官僚などが積極的に政府に働きかけを求めた結果でしょう。

「潜伏キリシタン」という、国内的には「貧しい農漁民小集落のあまり触れたくない宗教問題」が外交問題に直結する事態に発展することに対し、徳川幕府にせよ、明治維新政府にせよ、どのように対処するのか途方に暮れての判断だったのでしょう。

逆にキリシタンに初めて出会い、「寺預かり」となったキリシタンへの北陸地方の仏教僧侶の対応は色々だったようです。

異教徒であるかどうか以前に「厄介者が押し付けられた」とキリシタンが幼な子や妊婦、病人であっても容赦なき虐待にむしろ積極的に加担した僧侶もあれば、「本人が心から信じていると言うものを、他人がどうこう言って変えられるものではない」と信仰者の立場で寛大な処置を求め、奉行所の役人に自ら頭を下げてキリシタンの婦女子への苛烈な尋問からの救済を求めた僧侶もいたようです。

見える暴力や暴言、拷問による迫害が、「禁教高札の撤廃」という「キリスト教徒になることを奨励したり、許すわけではないけど、禁教ではない」という明治維新政府の非常に消極的な「解放」により、潜伏キリシタンのカトリック教会への帰正、聖堂や墓地の建設が認められ、潜伏キリシタンの時代は終わりを告げます。

今でも、潜伏キリシタンを祖先とする人と縁戚になれば、欧米並みに「配偶者やその両親、親族一同が受洗」という条件づけが堂々と言えるのも、日本では潜伏キリシタンの子孫ならではのことでしょう。

徳川幕府時代からの目に見える「禁教、迫害」をやめた明治維新政府は、その後「国体思想」による内面的な弾圧方法を発明します。

曰く「個人的にキリストや釈迦を信じるのは婦女子など弱き者の常だが、氏子神社や菩提寺に参ることへの支障になってはならない」「(祈祷は神仏宗教者の修練で行うもので、一般人はご祈願をお志を払って依頼するもので)キリストに直接(一般人が信徒になって)祈るなど、民草のすべきことに非らず」という「内面的なキリスト教弾圧政策」です。

戦後、憲法20条で「信教思想の自由」が保障されたものの、「日本神話や伝統的な地域の信心や宗教的な求心点を自ら失ってなお、内面的にキリスト教、特にカトリック教会への転向は許されない」を、「常識」だと信じ込んでいる日本人が大勢います。

私の家族も含め、未だにキリスト教徒に完全転向することがあたかも「本人の個人的心情の問題」であり、家族全体の問題ではないと、本人や家族の死に際まで思われているのです。

その点において、潜伏キリシタン解放があったからこそカトリック信徒への道が開けたずっと後の時代に、聖霊の導きを受けて受洗した私のような人間と、潜伏キリシタンの伝統の中に生きる信徒には、何となく立場の違いを感じてしまうのかも知れません。

もちろん、家族が元気なうちは信徒本人以外は受洗に至らなくとも、配偶者や子がカトリック信徒であれば、結果として周囲の人々も臨終洗礼に至る事例は数多いので、結果オーライの家族がいるのも事実ではあります。

最近は、結婚ではなく、カトリック信徒の配偶者の死がきっかけで「カトリック司祭を呼んで欲しい」と頼まれ、「よく考えてみたら、この人の葬式はカトリック教会でやることになるの?」に思い及ぶこともあるようです。


人は死が間近に迫るまで、生と死について考えたくない生き物です。そのため、今日はひとまず生きているから考えるのは面倒くさい、と考える日本人は多いです。

キリスト者本人は、あちらこちらでキリスト者であると公表したが故に陰湿ないじめに遭い、傷ついている事も多く、その分、より信心も信仰も深くなり…宗教=面倒ごととしか考えない家族との距離が開く傾向は、今も続いています。

長崎の潜伏キリシタン教会群遺跡と、その信仰のいしずえはとても尊い日本のカトリック教会の伝統です。ご受難のキリストに、聖母の執り成しを願い、これからも日本の回心を祈り続けましょう。

一方で、現代の「内面的なキリスト教徒への執拗で陰湿ないじめ、ねたみ」を一種の内面的な迫害と捉え、日本のカトリック教会共同体ついて積極的な対処方法を考える必要性も感じます。

やはり、信仰あるカトリック信徒が一人いるなら、その家族が他に特に信じる何かがあるわけでもなく、神社仏閣、または他のキリスト教に深く内面的に関わり、現実に人間関係が築けているのでなければ、一家で洗礼を受けることを求めて当たり前でなければ、真に信教思想の自由があるとは言えません。

21世紀の日本では一部の熱心な地域を除いては、仏教寺院の檀家、神道神社の氏子に形式上なっている方であっても、その寺や神社の教えや祭神が何であるか全く「知らない、信じない」無関心だけど、「何となく漠然とした真理みたいなものの存在を否定しない」という「日本的な意味合いで無神論」の人が多いです。

この、「日本的な意味合いでの無神論」は「戦前の国家総動員のための国体思想」という洗脳の文化的結実です。

戦前の国家総動員思想から未だ逃れられていないまま、国際社会、多文化共生社会を生きて行くには、「自分はなぜ、日本的な意味合いで無神論者になったのか?なぜ、無神論者は、日本以外の場所では悪魔崇拝者と同様の者であると扱われるのか?」についてコトバで考えて行く必要があると思うのです。

政治的に急激な極右化の影響もあり、21世紀の日本社会は日々、弱者や少数派にとって生きづらい社会になりつつあります。

潜伏キリシタンの時代の心身への拷問の辛さで主イエズス・キリストのご受難を栄光の聖母マリアとともにロザリオの祈りで耐えた信仰を思い起こし、心の内にキリストとご受難を共にする私たちキリスト者こそ、日々、日本の回心のために主の祈り、アヴェ・マリアの祈りを献げ続けましょう。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

「しぇるりん」になりすまし、他の方のブログにコメントを書き込む事例があるとのご指摘を受けました。私は他のブログに書き込みをしません。また「しぇるりん」を騙るニセブログもあるようですが、このブログの書き手とは別人です。ご注意下さい。


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