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2018年6月15日 (金)

ご聖体の秘跡ーキリストの肉と血の奉献

(その日、モーセは山から)戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは主が語られた言葉をすべて行います」と言った。モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。モーセは血の半分を取って鉢に入れ、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」というと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」

(出エジプト記24:3~8、聖書と典礼より)

お元気ですか。しぇるりんです。(^.^)

冒頭の聖句は、キリストの聖体の祝日の時の第一朗読でした。

内容的に見ると、現代人には誰にせよ馴染みづらい内容だと思います。

雄牛はモーセの時代、最も貴重な家畜であり、現代で言うところのベンツぐらいの価値のある財産であると同時に、貴重なタンパク源でもあったと思われます。

でも、乳を出して仔牛と人々を養い、仔牛を産む雌牛じゃないわけです。雄牛は雌牛と同じ数必要なわけではないので、古代社会では一種の余剰財産でもあったわけです。

古代の人々は、文字通り「自分たちにとっていちばん大切な財産であり、いのちある所有物」という「カタチある何か」を見えない神に献げることで、見えない神と契約を結び、また何らかの約束を取り付けようとしました。

エジプトの王墓や中国などの王陵には、殉死者の遺体や殉死者をかたどった何かが埋葬されています。それらは、王朝の来世での再生を願って行われたものでしょう。

また、災難や災害から集団を守るため、生きた人間や馬を生贄にする習慣が古代日本にもあったことが、地方の伝説、日本書紀、神社の「絵馬」などの習慣からうかがえます。「絵馬」は文字通り、生きた馬を罪のつぐないのために屠った習慣に由来するもので、農耕社会になってから馬サイズの絵になり、それがミニサイズ化したのが現代の「絵馬」なのです。

そう考えると、地球上のどこの文化が特別に残酷だとか、穏当だと言うより、古代人は、目に見えない神聖な何かとつながりを保ち、目に見えない何かへの恐怖に打ち勝つため、目に見えるいのちを文字通り「献げる」必要があったわけです。

しかし、時代が変わるにつれて、目に見えない主なる神と「わたし」とのつながりは、恐怖や不安をともないつつも愛や信頼といった、もっと個人的、かつ「目に見えないつながり」である方が自然だ、という考えが人々の間に定着していきます。

同時に集団=自我というほど強い結束ではなく、自我と自我の間に一定の距離を置いたつきあいを持つ「社会性」が芽生えて来たように感じます。

モーセの時代には、大集団が一頭の雄牛を献げるだけですべての民に神の契約のことばが知れ渡ったのが、人々が分散し、さまざまな場所で社会を築くことで、これらの祭儀も家族、親族、地域単位で分散して行きます。

古代の壮大な儀式は、後代のより複雑化した社会を生きる人々には、経済的に大きな負担を伴いました。

イエズス・キリストがお生まれになった頃には、聖マリアと聖ヨセフに象徴される一種の核家族状態が、都市部では既に一般化していたのでしょう。

主なる神との契約を、膨張し複雑化する社会の変化の中にあって幼な子のように守り通すことの不可能さ、赦しの祭儀に必要とする多大なる代償の支払いの困難さは、必然的に「内なる信仰としての主なる神との契約」という考え方に結びついて行きます。

↓教皇フランシスコの聖餐式

Popefrancisraisesthehost

イエズス・キリストはただ一度、この世に主の御子として遣わされ、自らのいのちをすべての人類のあがないと赦しへのささげものとして、十字架上で奉献されました。

イエズスは、私たちの信仰において日々の心身の痛み、苦しみ、悩み、あえぎ、血と汗を共にされることで、永遠のいのちのあがないと赦しを成し遂げられました。


イエズスのご受難と死とご復活は、私たちに永遠のいのちへの希望を持たせ、平凡な今日一日が全く意味のないものではなく、永遠のいのちへと私たちそれぞれを導くための何かであるという信仰へと導いてくださるのです。

わたしたちは、キリストの肉と血をいただく聖餐式を通して、他者を赦せるように、自分をゆるし、他者を愛するように自分を心から慈しめるようになります。

ご聖体のまことの神秘は、キリスト者として水で洗礼を受け、聖餐式を共同体とともにすることにより、キリストの愛の秘跡を実感することにあります。

聖餐式は慣れないうちは単なる儀式的な何かにしか感じられないかも知れませんが、それは家族や人とのかかわり合いにも言えることだと思います。

はじめは、どうして、なぜ、どのようにこの人とかかわり合うのかなんて分からないまま、まず、関わりが生じます。


その関わりを育てる関係性のあり方が、家族、親子、夫婦、親しい友人や知人や共同体との関わる日々のなにげない言葉のやり取りや生活だと思います。

聖餐式を通じてわたしたち一人ひとりがそれぞれのあり方でキリストとの関わり合いを保つことで、わたしたちはキリストの愛のうちに育まれ、永遠のいのちの契約を新たにし、自分のいのちが生まれた意味、生きた日々の意味について、いつか父なる神が教えてくださるよう、願えるようになるのです。

キリストの愛を知ることは、主のゆるしを知ることであり、あがないへの祈りへと誘われることです。

日々の生活に追われる私たちは、思うように祈りに時間を取れず、ともすると目新しい何かを追いかけることに必死になってしまいます。

いちばん新しいものは、いちばん古いものの中に隠されています。

ご聖体の秘跡は、モーセの契約を全人類が新たに愛の契約として主なる神と結ぶ、いちばん古くて、新しく、そして誰もが触れ得る神の右の手だと思うのです。

主の右の手に、聖母マリアと聖ヨセフの執り成しをもって触れようと手を伸ばす時、主はきっとあなたの右の手をとって正しい道へと導いてくださるでしょう。

どうか、良い1日でありますように。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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