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2018年6月12日 (火)

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ殉教司祭

(現在の聖母の騎士修道院の土地購入の際)

「支払いのお金はあるんですか。」

「いいえ、今はありません。」

「神父さま、お金は確実にポーランドから送ってくるんでしょうね。もし、送ってこなければ、千五百円は戻って来ないんですよ。」

するとコルベ神父は行った。

「送って来るか、来ないか私は知りません。この土地を買うことが、けがれなき聖母マリアさまのお気に召すならば、必要なお金は必ず送って来るでしょう。お気に召さないならば送って来ません。それは私の心配することではありません。すべては、けがれなき聖母マリアさまのお望みにあるのですから、すべてお任せしています。」

(小崎登明著《ながさきのコルベ神父》聖母の騎士社より抜粋)

お元気ですか。しぇるりんです。(^.^)

日本にゆかりのある聖人で、近代で最も有名な方といえばアウシュビッツ収容所で餓死刑を自ら進んで受けた聖マキシミリアノ・マリア・コルベ殉教司祭でしょう。

1930年(昭和5年)、日本は既に日華事変のただ中にあり、外国人=スパイとみなされていた時代、内外の宣教会、または司教団が招いたわけでもないのに、「けがれなき聖母のみ心です」という信仰ただ一つを抱いて、ゼノ修道士、ヒラリオ修道士の二人を引き連れて、長崎に降り立ったのがコルベ神父の日本宣教の始まりでした。

たまたま、長崎の神学校では哲学教師を必要としており、コルベ神父は哲学教師の有資格者でした。そのため、当時の長崎大教区の早坂司教は渡りに船と三人の聖母の騎士の滞在を「色々と揉めた末に」許可したのです。

その後、日本語もカタコトしか分からないまま、渡日三ヶ月後には<聖母の騎士>第一号を発行しました。

↓写真中央の方が聖コルベ、左隣がゼノ修道士

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コンヴェンツァル聖フランシスコ会の中でも清貧とけがれなき聖母への信心に熱心な聖母の騎士たちは、さまざまな難関を乗り越えて、現在の長崎県本河内2丁目にある修道院を、当時の国粋主義化の時代に逆行するような勢いで建設します。

そこには、多くの犠牲と聖コルベの秀でた霊的指導がありました。

けがれなき聖母のみ心の執り成しを願って、全てを祈り、すべてを任せきることが、聖コルベの教えの真髄だったと思います。

誤解されやすいのが、聖コルベが聖三位一体であるキリストへの信心よりも、けがれなき聖母へのみ心にお任せすることを優先したのではないか、という点でしょう。

確かに情緒的な面で、聖コルベはアシジの聖フランシスコの「イエズスの赤い十字架の血の階段ではなく、聖母の白い階段をのぼりなさい」という教えを積極的に実践した方のようです。

実際、聖コルベが幼い時に夢で聖母が「殉教の赤い冠と聖性の白い冠のどちらが欲しいですか』と問われて「両方ともください」と答えたことが、司祭召命へのきっかけだったと伝えられています。

日本でも肺結核を病んだまま1936年5月23日にポーランドのニエポカラノフ修道院の院長に任命されて去るまでの6年間、聖コルベはまるでご自身の人生の縮図であったかのように、修道院と小神学校(元聖母の騎士高等学校)建設に携わりました。

その間、修道院長としての苦難、そしてコルネリオ院長の就任とともに長上への従順を生き、念願だった日本での殉教を果たせないまま、ポーランドに帰国されました。

聖コルベはその後、5年しか生きられませんでした。

第二次世界大戦が始まり、長崎の聖母の騎士らには本国からの送金も連絡も途絶えてしまいました。

聖コルベが選んだ精鋭の一人、ゼノ・ゼブロンスキー修道士は全国を回り、多くの人と親交を結びました。ゼノさんのたどたどしい日本語と人好きのする態度は、当時、外国人スパイを担当する外事課の担当者にすら認められるほどでした。

聖コルベは、ニエポカラノフ修道院の院長としてナチスドイツと対峙する困難な役目を果たすべく最善を尽くしてなお、二度も強制収容所送りになりました。

一度目のアムティツ強制収容所送りではどうにか釈放されたものの、二度目に送られたのはアウシュヴィッツ強制収容所でした。

過酷な労働、「司祭のブタ」となぶられつつ虐待を受け、困難な中にもロザリオの祈りとけがれなき聖母マリアさまへの信心、兄弟たちへの愛がゆらぐことはありませんでした。

1941年7月末、収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれた10人が餓死刑に処せられることになりました。番号で呼ばれた中の、フランツェク・ガイオニチェックというポーランド人軍曹が「私には妻子がいる」と泣き出しました。

その時、聖コルベはナチス親衛隊員の前に進み出て「私がその人の身代わりになって、餓死刑を受けます」と言ったと伝えられています。親衛隊員に「貴様は誰だ?」と言われて「司祭です」と答えたと言われています。

その後、水一滴与えられないまま10日間、聖コルベの餓死刑の房の中からはとぎれとぎれの聖歌と祈りが聞こえていたそうです。

そして、10日目、最後に生き残っていた聖コルベは自ら腕を差し出し、殺害のためのフェノール注射を受けて亡くなりました。

聖コルベは最後までけがれなき聖母マリアさまに全てを任せ、弱い上に結核を患っていた身体で、司祭の務めを果たされました。

「ほんとうのニエポカラノフは天国です」と言われた聖コルベに倣い、まことの神の国、イエズスのみ心と、けがれない聖母マリアさまの執り成しに自らの全てを任せられるよう、みなさんとともに祈りたいと思います。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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