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2018年6月 5日 (火)

福者パウロ六世教皇の「初めて」と「最後」づくし

「絶対正しい真理の保持者という確信のもとに世界の営みから超越し、社会との対話と協調の必要性を認めない教会、それが、第二バチカン公会議が開催されるまでの教会の姿でした。私は、そのような雰囲気の中で(カルメル会での)修道生活を行い、神学を学び、司祭になる準備をしていたのです。」


(森一弘2004《心の闇を乗り越えて》オリエンス宗教研究所p.81より抜粋。森司教は1968年、第二バチカン公会議の真っ只中にローマで神学院を卒業し、帰国。)

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

2018年10月14日に、第二バチカン公会議の立役者であった福者パウロ六世教皇の列聖式が執り行われることになりました。

17世紀に行われたトリエント公会議以来の時代の転換点となった第二バチカン公会議の召集準備委員会を立ち上げ、1963年に同公会議を招集したのが、聖ヨハネ二十三世でした。

その時、既に胃ガンに侵されて余命いくばもなかった聖ヨハネ二十三世の遺志を継ぎ、第二バチカン公会議を行い、カトリック教会の刷新へと舵をきったのが福者パウロ六世です。

パウロ六世は、いままでのところ最後に戴冠式を挙行した教皇であり、教皇冠という王冠を頂いた教皇です。

また、初めて飛行機に乗り、初めて聖地エルサレムを訪問した教皇でもあります。世界の五大陸を訪れ、諸教会の対話、エキュメニズムの先駆者として英国国教会のカンタベリー大主教や正教会とも対話されました。

このブログをお読みになる方々のほとんどが、第二バチカン公会議以前のカトリック教会について、あまりご存知ないかも知れません。

第二バチカン公会議以前のカトリック教会では、司祭は会衆にお尻を向け、祭壇の方を向き、聖餐式の多くの部分をラテン語で行なっていました。

実際、ラテン語+日本語のミサに与った経験からすると、どうにも日本のお葬式のお経のように「世間離れした、なんとなく意味不明な印象」が否めませんでした。

また、カトリック信徒は司祭との勉強会など以外で聖書を読まないよう、勧められていたとも聞きました。信徒が聖書を勝手に解釈しないように…という配慮?、からだったそうです。

ローマ司教が外遊し、平和への祈りをしただけで世界中のマスコミがてんやわんやの大騒ぎをした時代が、二十世紀には実際にあったのです。

これらの多くのことがらが、第二バチカン公会議を通じて変わりました。

↓第二バチカン公会議に臨席されるパウロ六世教皇

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福者パウロ六世が始め改革的な動きの中で注目すべきなのは、シノドスと呼ばれる「司教会議」の開催、コンクラーヴェ改革で80歳以上の枢機卿のコンクラーヴェでの選挙権をなくしたこと、および「ローマ教皇」の職務を「バチカン市国の王座という権威と共にカトリック教会の教えを伝える者」から、その署名通り、「カトリック教会の教えを宣べ伝える、神のしもべの中のしもべ」へと方向転換を求めたことにあります。

福者パウロ六世は教皇冠を米ワシントンD.C.にある無原罪の御宿りの聖母教会に寄贈し、今もパウロ六世の教皇冠の拝観料はパウロ六世の意向に従い、貧しい人々のために使われているようです。

当時の欧米世界では、第二バチカン公会議によりローマ教会の権威が失墜が始まった、と感じる保守派も多かったようです。

しかし、この時代的な変化はトリエント公会議以来の教会の歪みへの揺り返しであり、教父時代からの素朴な使徒伝承の教会へと、ローマ教会が生まれ変わるための序曲です。

聖ヨハネパウロ二世教皇以降、教皇戴冠式は制度上廃止されてはいないものの、就任式だけが行われるようになりました。

カトリック教会の教えが、第二バチカン公会議を通じて「相対的な真理に格下げされた」と考える一部の復古主義者らの考えはあやまちだと思います。

信仰は、どの宗教であれ一つの道です。どの道を歩もうか悩むだけで生涯を終えるなら、どれほど優れた教えでも役に立たないでしょう。信教思想の違いを人間的な思い込みだけで裁いてはならない、人の内奥を全て知る神の裁きに最終的にはすべてお委ねする、という意味で諸宗教の対話、エキュメニカル運動もまた可能なのです。

いのちが一つなら、道もまたひと筋以外は歩めない、という意味合いでいうなら、カトリック教会の教えを信じる人にとって、昔も今も変わることなくカトリック教会の教えは真理であり、道であり、いのちに至る道なのです。

新約聖書の使徒言行録には、聖霊のみ恵みによって新たにされた使徒と弟子たちが、人間的な弱さや迫害の嵐のなかにあってなお、キリストの教えはひろく、深く人々の心に沁み入った、とあります。

ローマ教会が自らの権威を守ることより、素朴にイエズス・キリストの教えを宣べ伝える教会共同体であることに徹することを現代社会とこれからの時代のニーズに合わせてより明確にしたのが、第二バチカン公会議のいちばんの成果だと思います。

私は個人的に、第二バチカン公会議なしにはカトリック教会と出会ってはいなかったかも知れない人間です。

小学生のころ通っていた長老会系の教会の日曜学校で、第二バチカン公会議による「エキュメニカルな対話」の実践として、「日曜学校の礼拝で、近くのカトリック教会の神父さまがお試しで説教をする」というイベントがありました。

結果は、最悪でした。子ども心にも「コッチコチで何を言いたいのかよく分からなかった」という印象が残ってしまったのです。

後で、当時のカトリック教会の方の信者さんにこの話をしたら「あら、そんなことないわ!その神父さまは、とても分かりやすいお説教をしてくださったわよ!」とのこと。

どうも、プロテスタントの牧師さんとカトリックの神父さんの話術の技法や技量が当時はだいぶ違った上に、子ども相手だからこそ相当、緊張しておられたのでしょう。

そこで、互いにしこりを残さないよう長老会の方の日曜学校から「合同運動会をしましょう」という提案がなされました。その運動会の時、いささか疲れた表情をしたシスターのベール姿を見かけた時「洗礼を受けるなら、あっちかな?」とチラッと思ったのが、私とカトリック教会との最初の出会いでした。

1965年の第二バチカン公会議の閉会から、半世紀以上の歳月が経ちました。

カトリック教会は、まさに「隅の親石の上に建てられた」教会共同体です。神のみ心がなければ公会議は頓挫するようで、第一バチカン公会議は普仏戦争を期に頓挫しました。

その点、第二バチカン公会議は1959年1月25日、17人のローマ枢機卿の集う聖パウロ修道院の門外をふらりと訪れた教皇ヨハネ二十三世が「公会議を招集します」と告げたことから始まった、と言われています。

この決断は長い熟考の結果ではなく「予期しないところにふと訪れた春の木々の芽生えのように生まれた」ものだと伝えられています。

その春の木々の芽生えを慈しみ、《第二バチカン公会議文書》という祝福された若木へと育つよう見守り続けたのが、福者パウロ六世教皇です。

いま、私たちは当たり前に自国語でミサにあずかり、海外の旅行先、駐在、在住、移住先などでその国や地域の言語のミサにあずかることにさほど不安を覚えなくなりました。

世界のほとんどの国や地域のカトリック教会のミサはローマ典礼規則にもとづくミサであると、心から納得できるからです。そして、言葉が違うからと言って、ミサが違ったり、信仰が違ってしまうことはないと、第二バチカン公会議以前より深く確信が持てるようになりました。

なぜなら、地域ごとの霊性の違い、文化の違いを知ることで、わたし達は以前より文化が違う兄弟姉妹たちへの愛が深まることもある、と知ったからです。

福者パウロ六世教皇の列聖は、胎児の脳腫瘍が消えるよう祈り、その願いが叶えられたからだそうです。

その祈りの結果が医学的に証明できる、できないに関わりなく、祈りの執り成しを求めることは、カトリック信徒にとって大切なことです。

その祈りが聴き届けられた事じたいも大切かも知れませんが、その祈りを通じて少しだけイエズスさまを親しく知るチャンスになるからです。

聖ヨハネパウロ二世教皇、ベネディクト十六世名誉教皇、そして教皇フランシスコと、徐々にですが、権威あるローマ教会という黄金の冠をかなぐり捨て、イエズスのいばらの冠を自らかぶろうと先人の開いた道を、更に前へと歩んで来ておられるようで、頼もしい限りです。

私たち信徒の信仰も、さらに刷新されるよう、福者パウロ六世教皇の執り成しで祈りたいと思います。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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