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2018年5月25日 (金)

なぜ、イエズスは死と復活を予告されたのか?

一行はそこ(フィリポ・カイサリア地方)を去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まなかった。それは弟子たちに「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて、三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちは、この言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
(マルコによる福音書9:30~32)

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

五月といえば、就職、転職、転勤などで不適応症状に悩む「五月病」の季節でもあります。爽やかな気候でゴールデンウィークもあり…といいことづくめに思えますが、これがあんがい曲者なのかも知れません。

ゴールデンウィークが終わると、海の日連休までまとまった休みがありません。「さあ、これからはしばらく休めないぞ!」と考えてしまうのでしょう。このような人生の変化の直前や直後に不適応症状は、誰にでも起こりやすいのですが、今の日本社会では適切な配慮に欠けているように思えます。

冒頭の福音で、イエズスさまは弟子たちに自らの十字架、死とご復活について語られ始めます。弟子たちに事前にこれからの御父のご計画について知らせることで、弟子たちの人間的かつ心理的なショックを和らげようとされたようにも読み取れます。

私たち個人の人生にも、そんな時があります。これから訪れる人生について、自分はどんな心構えを持つべきか、自分や周囲と向き合うべき時があると思うのです。

そんな時、聖書のみことば、祈りが自らの支えになるなら、それがいちばんの信仰の功徳であり、慰めであり、励ましになると思います。

それまで順調だっただけの人生がくねくねした曲がり角に変わるとしても、逆に逆境続きだった人生に幸運が訪れるにせよ、変化に慣れるには、時間がかかるものなのです。

イエズスさまは、弟子たちが状況の激変に耐えかねて、御父である主への信仰を見失うことのないよう、あらかじめ弟子たちに主のお約束、聖霊の導きがあることを示されました。

イエズスさまのそのような人間的な配慮は、イエズスさまが聖なる神の御子であったと同時に、本当に人の子として来られたことの意義をあらわしていると、しぇるりんは思うのです。

人の子としてみ神が地上で生まれ、暮らし、御受難を伴う死を迎えたことで、私たちも神の愛が人間的な愛の延長線上にあり得るのだ、という信仰と天的な希望を得ました。

「弟子たちは、この言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」とあります。

不適応とは「自分では未だ分からないことを示された時、怖くて向き合えないこと」だと思います。

イエズスさまは、弟子たちの気持ちを尊重して、わざと静かな道をゆっくりと歩めるよう、自ら身を潜められたのだと思います。

昨今の日本社会では、どうも昭和時代以上にギスギスとした状況で、人づきあいに慣れておらず、時代の変化に伴ったコトバでのやり取りができないままに、実態と乖離した根性論、精神論などが浮ついた差別主義と共に横行しているようです。

これまでの状況をじっくりと噛みしめるように味わうこと、そして明日への適応に備えるだけの気持ちの余裕は、不必要な心の病いを抱え込まないために必要です。

よく、カウンセリングだ、話し合いだ、問題点を書き出せ…などのアドバイスを散見しますが、それらは全て自分が向き合える範囲内で行ってこそ、効果の上がるものです。

当事者が望まない方向性へと無理やりゴリ押しするために「問題点を書き出させる」のは洗脳行為によく似た手法にも通じることになり、より不適応反応を悪化させる原因にもなります。

世の中、本人の望み通りにならないことなどいくらでもあるし、忍耐を覚えるべきこともあります。だからと言って、当事者の良心や本心にないことを無理強いしたり、やたら忙しく追い立てることで本人の不適応反応を見て見ぬ振りをすることが、長期的に見ると本人の状況を悪化させる遠因となることもあります。

↓福音記者マルコ

0425marek

冒頭の聖句を読むと「しかし、イエスは人に気づかれるのを好まなかった」とあります。

それは、イエズスさまの癒しを、奇跡を必要とする大勢の人々と同じぐらい、弟子たちと使徒らの心が来るべきご受難と十字架、死とご復活に適応できるよう、天の御国をあらわされる(マルコによる福音書9:2~12)前に六日間の準備期間をくださり、天の御国をあらわされた後に弟子たちが心の準備ができるよう、静けさの中で時間をくださったようかのように見えます。

21世紀の日本に生きるわたしたちはつい、「ハイ、覚えてください。いいですね。分かりましたね?じゃあ、やってみてください!」といったセカセカした生活リズムを当たり前のように感じています。

しかし、現実のわたしたちの心やたましいが、IT化やIoT化でせわしさの常態化を受容できるわけではありません。

時の流れの速さを追いかけるのではなく、時に時の流れの遅さに身を任せ、ゆったりとした時間を過ごすことの意義が問われている気もします。

ここ数日、不適応症状でちょっと辛い状態にいる私から、いま不適応に悩む方に贈れる言葉は「せわしさに巻き込まれすぎないことを大切に!」ということです。

ゲームやSNSを休んでみる、何となく寝転んでみる…などでもいいです。自分が「頑張らなくちゃ。時間がないからどうにかしなくちゃ…」という気持ちから離れるチャンスを掴むが、祈れる心情にもつながるのだと思います。

このブログを読んでいるあなたの明日が、実り豊かでありますように。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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