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2018年4月24日 (火)

牧者である主キリストの道

わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。

(ヨハネによる福音書10:14~18)

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

復活節第3週目は、「羊飼いの主日」とも呼ばれています。

「主はわたしの牧者。わたしには恐れることがない。」という有名な詩編23編の言葉の通り、わたしたちは「主イエズスが迷える羊のようなわたしたちを愛で牧してくださるんだ」という受け身の信仰に満足しがちです。

↓「善良なる羊飼いであるキリスト」

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とあるヨーロッパの国で、羊を飼う牧場を見かけました。その時、その場から見えるかぎり羊は1匹もいませんでしたが、羊たちの足跡を辿り、牧場に危険物やプラごみなどがないかをチェックし、フェンスなどの修理をする、本物の「羊飼い」に出会いました。

どこか別な場所で牧草をのんびりと食べながら過ごす羊たちは、羊飼いが羊たちが間違ってプラごみを食べたり、フェンスの穴から迷い出ないよう常に牧場を見廻っている羊飼いの「人間的な事情」を知らないでしょう。

それでも、彼の羊たちは羊飼いに信頼を置き、彼の口笛に応えて集まろうとすることでしょう。羊飼いが心をこめて羊の世話をしている気持ちは、きっと羊にも通じていると思うのです。

その点、わたしたちはどうでしょうか。

わたしたちは、洗礼によって主イエズスに結ばれ、その霊的な牧場にいこい、命のパンと救いの盃をいただき、必要に応じて道を示していただいきます。

主イエズスは罪深いわたしたちのため、「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。」と、私たちに永遠のいのちへの道を開かれました。

主イエズスがご受難、十字架、ご復活、ご昇天と聖霊をわたしたちに送られることで、わたしたちにも「誰も奪い取ることはできない永遠のいのちの道」を開いてくださいました。

永遠のいのちに至る道、それは感謝の道だと思います。

ある人が、まさに幸先よく見えたビジネスを始めた矢先に、ビジネスパートナーが病気で倒れたことがありました。ちょうどその時、ビジネスパートナーの穴埋めを、一定期間ならできる人が手伝いを申し出てくれたことがありました。

さて、この人が「ビジネスパートナーの病気は不幸だったけど、手伝いをしてくれる人が現れて助かった。ありがたい。」と心から思えたなら、自然とその人に同情する人も集まったかも知れません。

ですが、その人は「パートナーが働けず、手伝いを頼んだ分、人件費もかかり、仕入れ値も高騰した。せっかく投資したのに、手伝いの人は期間限定でしか来れないから、利益が少ない。もっと儲けるはずだったのにただ疲れ切り、投資した金額に対して見返りが少ない」と思ってしまったようです。

パートナーの分もカバーせねばならない上、疲れも溜まっているせいか、善意で手伝いを申し出た人に暴言を吐き、仕事中に酒をあおるほど、生活態度が荒んで行きました。

するとまず、それまで彼の笑顔に癒されていた「常連さん」、「友達みたいなお客さん」が数週間にしてほとんど来なくなりました。

どんなに疲れ切り、辛い状態でも心から感謝の心が持てることは、まさに「わたしたちは主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。(コリントの信徒への手紙15:37)」にある、「死に打ち勝ち、主キリストのご復活をともにすること」だと気づきました。

人間的な意味合いからすれば、セクハラやパワハラなどの加害者のように、法的に許さず、人間的な裁きと賠償を訴え、より良い未来の糧とすべき事柄があります。

昨今、ある財務省官僚のセクハラ加害が論議になっていますが、いじめ、ハラスメント加害者が裁きを受け、相応の法的、社会的、道義的制裁とつぐないをさせること、被害者の心身や社会的地位の回復に必要な配慮は、明日のためにいますぐ行わねばならないことです。

と同時に、わたしたちは自身がどんなに疲れ、辛い状況に置かれても、心から主キリストの愛を通じて感謝の心、ゆるしの心が持てるよう、霊的に祈り、願い、ゆるしを求め続けねばなりません。

それは、自分が惨めな境遇に陥った時、心の片隅にいつも、きょう一日への感謝の気持ちを忘れないでいるためだと思います。

きょう一日への心からの感謝の気持ち。与えられた境遇をあるがままに受け入れ、なお主キリストの愛に応えるために感謝の心で、いまは人間的には許してはならない人々がいつか自らのあやまちを自覚し、赦しを乞える、回心のみ恵みを与えられるよう祈ることは、まことにとうといキリスト者の宣教の使命だと思います。

祈りは、祈る人の在り方を根底から変えてしまいます。いつしか、祈る人の周囲の人々の人々も、徐々に変わって行きます。

自分が周囲の望み通りの人生を歩めるかどうか、誰かに自分の望む人生を無理やり歩かせるのではなく、自分らしい人生の道へ、主キリストが導いて下さるままに歩めるようになるかがいちばん大切なことだと思うのです。


主キリストがご復活により全人類の良き羊飼いとなられたように、私たちも迷える羊として主の憐れみを乞い願うことに自己満足することなく、羊飼いと同じ気持ちで友である羊とともに、私たちの小さな生活の中の小さな牧場の羊飼いを目指せますように。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

 

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