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2017年12月 5日 (火)

待降節にゆるしの秘跡を!

お元気ですか。しぇるりんです。(^^)

全てのカトリック信徒は、信仰とゆるしに招かれています。


ゆるしの秘跡とは、自分が誰かにしたことや、どうしてもゆるせないと思っていたことをゆるせるようになった時、主イエスとローマ教会の定める叙階の秘跡を受けた司祭を通じてカトリック信徒がゆるしを頂くことです。

私たちは自分の心の中で自分が相手に行った理不尽な行いをゆるすこと、相手が自分に行った理不尽な行いをゆるすことで、自分自身もまた主イエス・キリストの名によってゆるしてもらうのです。

例えば、気の合わない人のする言動がどうにも耐えられず、相手が傷つくようなことを言い、行ったとしましょう。

でも、それが相手の弱さであったり、「相手の当たり前」でしかなかった事を知り、ゆるしの秘跡で告解したとしましょう。

Becc12a2f4607155f2815283b2cff8dd ゆるしの秘跡の秘密は、トップシークレットです。また、信徒同士の分かち合いの席で話し合われた内容が、間違っても外部に漏れることがあってはなりません。

私たちには、互いに対して主のみ前において、主に対して話したことを、主イエス以外の誰に対しても漏らしてはならない守秘義務があるのです。

主イエスは、私たちが何も語らなくとも、自覚できず、言葉にできず、行いにあらわせなくても、私たち一人ひとりのすべてを知っておられます。

私たちが主イエスに近づきたい、主の愛に応えたいと心から思うからこそ、「何が私の罪だったのか」について思い巡らし、ゆるしの秘跡をねがいます。

ゆるされれば、ゆるされるほど、私たちは自分の弱さ、他者の弱さ、自分の小ささ、他者もまた小さき者でありながらも、ともに生かされている生命の営みの神秘に気づくチャンスが与えられます。

人は皆、弱いものです。

先日、無人島にある漁船の避難場所から、北朝鮮船籍と思われる漁船に備品が全て盗まれたらしい、という話がニュースにありました。

どうもその避難所は絶対的困窮者が訪れた場合を想定していなかったようで、家具や機材の固定など、防犯に必要な対処がされていたかもはっきりせず、避難所にはテレビなど家電製品まであった模様です。

日本では当たり前にどこの家にも、テレビ、冷蔵庫、離島だと発電機などもあるでしょう。

しかし北朝鮮の漁民は、冬の荒れた日本海に屋根もなく、凍死する危険を覚悟の上で、エンジンもボロボロの漁船で出漁せねばならないほど、追い詰められているのです。泥棒が悪いことだとは知っていても、生きるためについ盗んでしまったのでしょう。

この件で日本の政府高官までやたら大騒ぎをしていますが、自分たちが絶対的困窮者であった時代のこと、今も同じ日本の空の下に大勢の相対的困窮者がいることは忘れておられるようです。

今から70年前、終戦直後の焼け野原の東京では着るものがなく、「水がしたたらない程度に乾きかけた洗濯物や靴は、かなりのボロでも、生き残った年寄りや子どもがそばで見張っていないとドロボーに盗まれる」ほど、窃盗が多かったのです。

また、今も相対的困窮や心的疾患ゆえの万引きが後を絶たない現実も、お忘れのようです。

ドロボーは悪いことです。窃盗罪は犯罪です。だからと言って、外交関係と「絶対的困窮に追い詰められた個人や小集団の窃盗」をごたまぜに論じるのはどうかと思うのです。

自他に関係なく、極度の困窮は人の心を悪にいざなうものと言えましょう。

絶対的な困窮ではなく、相対的な困窮、そしてどれほど金銭的に富裕であっても冷えた心、辛いほどに孤立した孤独、他者へのねたみ、そねみなども、私たちの心を悪へといざなうキッカケとなります。

悪へのいざないについ負けてしまった自分に気づくこと、悪を行う自分の心が冷え切ってしまったことで、主イエス・キリストの愛から遠ざかってしまったことに気づくことこそ、ゆるしの秘跡を受ける本来の意義だと私は思います。

主の愛から遠ざかったことに気づけば気づくほど、私たちは主の愛といつくしみに近づくチャンスを得ます。そして、主の愛といつくしみへの信頼が増すほど、私たちは自分のいのち、明日、希望などを、心からの信頼を持って主に委ねきることができるようになって行くのです。

待降節のゆるしの秘跡は、主の愛といつくしみに近くきっかけです。

そして、主の愛といつくしみに気づくこと、近づくことこそ本当の、そして最高のクリスマスを迎える準備なのです。

世間や十戒の定めるの基準や道徳律に反した、反しないという問題だけではありません。

その行いをすることで、主の愛といつくしみを自分自身の中でないがしろにしたことへのゆるしを受ける必要があるのです。

人は生きている間にしか、悔悛し、悔い改め、罪のゆるしを願い、回心することができません。

だから、臨終の前にゆるしの秘跡をいただき、可能であればご聖体拝領をした上で、塗油の秘跡(病者の秘跡)を受け、「天国行きの切符」を手にするのです。

長い間カトリック教会から離れていた方であっても、信徒であれば臨終前に、意識のあるうちに近隣のカトリック教会に電話して司祭を呼んでください。

また、カトリック信徒のご家族やご縁故の方で、最後はやっぱりカトリック教会で…と思われる方は意識のあるうちに臨終洗礼をお受けください。

いのちあってこその悔い改めです。生きている間に、自分が生きていると誰かに伝えられるうちに主なる神と向き合うこと、回心することができるのが、カトリック教会の教えなのです。

カトリック信徒の方々はぜひ、待降節の間にゆるしの秘跡を受けてください。

きっと、あなたの中で何かが変わり、それが実生活の中にあらわれていくことでしょう。

 

ゆるされることで、ゆるし、ゆるすことでゆるされる主イエス・キリストの愛といつくしみの神秘にこのブログを読む全てのみなさんが招かれますように、アーメン。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)は正統派のキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。


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