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« 戦前「教会秘話」:戦前カトリック教会の苦悩と英断 | トップページ | 戦後レジームとカトリック:「ゆるし」と「いやし」 »

2017年6月23日 (金)

戦前「教会秘話」:戦後レジームと21世紀のわたしたち

「主の霊がわたしの上におられる。

 貧しい人に福音を告げ知らせるために。

 主がわたしに油を注がれたからである。

 主がわたしを遣わされたのは

 捕らわれている人に解放を、

 目の見えない人に視力の回復を告げ、

 圧迫されている人を自由にし、

 主の恵みの年を告げるためである。」

(ルカによる福音書4:18~19)

お元気ですか。しぇるりんです。(^。^)

戦前の「天皇が上か、父なる神が上か?」という、いま考えると幼稚に思える論争と弾圧で、多くの人が身も心も深く傷つき、亡くなりました。

日本の敗戦は、「米国が勝てば、キリスト者への弾圧が終わり、外国人宣教師の不当な監禁は解かれるだろう」という希望を、冒頭のみ言葉そのままに抱かせました。

戦前~敗戦までの間に、キリストとともに十字架を担うことで日本に定着した修道会、福祉施設も多くありました。

盲目のフランス人修道女一人以外の全ての外国人修道女が国外退去処分となった「天使の聖母トラピスチヌ修道院」は、深い霊性の人、メール・ベルクマンスが修練長として導き、その後に終生誓願を立てた日本人シスターが院長となり、日本の観想修道院として高らかにキリストの霊性を掲げ、その後、日本中に聖ベネディクトの戒律とトラピストの霊性を広めるさきがけとなったのでした。

ゼノ修道士が守り抜いた長崎の「聖母の騎士修道院」は、聖コルベ神父が長崎市に背を向けた土地に修道院を建てたため、原爆被害をほぼ免れ、信徒の希望の礎となりました。


サレジアン・シスターズは、苦難の時代に運営する施設の戦災孤児らがぶじ戦禍を生き延びられるなら、富士山に聖母像を建てましょうと祈り続けて、戦後に「富士山の聖母像」建立へと至ったお話も有名です。

また、日本宣教への熱情にもえた多くの宣教会、司祭、神学生らが欧米各国から来日し、息絶え絶えだった日本のカトリック教会に新しい息吹きが訪れました。

一方、進駐軍の中枢組織であったGHQは、カトリック教会に多くの問題も残して行きました。

当時、米軍は日本の安定支配の基礎をきずこうと、長年の飢えに苦しんだ子供や大人らに、チョコレートやアメをばら撒きました。


同時に米国からの支援物資である「ララ物資」の配給拠点として、カトリック教会、プロテスタント教会が選ばれました。「英語や他の欧州言語と日本語が通じる場所」という進駐軍、米軍都合の理由でした。

そのため、長年の飢餓で苦しんでいた日本人が、モノ欲しさに教会の門を叩くようになりました。「キリスト教の教会はタダでモノやお金、ボランティア活動のようなサービスを惠んでくれる場所だ」という誤解が、21世紀の日本社会に残る原因となった、カトリック教会、キリスト教教会全般における「戦後レジーム」の残滓です。

21世紀のカトリック教会は、日本の総人口の0.7%を満たない平信徒の善意、毎週の献金及び教会維持費(交通費、図書代等を含め、およそ総収入の3%程度が望ましい寄付額とされている)、平信徒の自主的な善意の奉仕で運営しているため、霊的な安らぎ、心やたましいの癒しやなぐさめの場は主日のミサへの招きなどを通じ、よろこびをもって提供していますが、「モノやお金に困ったから助けてくれ」という未信者の方を支援する余力はほぼありません。

信徒数が増加しなければ、熱心な善意の平信徒も増えず、献金も増えず、奉仕する人も増えないため、カリタスジャパンや通いつけの宣教会などへの個人寄付、ふだん教会に通ってくる信徒やその家族、友人、信徒の親しい知人以外への支援には手が回らないのが、21世紀の日本のカトリック教会の現状です。

日本政府や社会が、もしキリスト教の霊性と信仰に基づく愛のボランティア活動が日本の社会福祉活動へと広がるよう願うなら、キリスト教やカトリック教会を、戦国時代、戦前、戦中の苦難の十字架を乗り越え、日本に根付いた日本の霊的文化として積極的に尊重し、優遇し、その信条を尊重する姿勢を具体的に表す必要があります。

具体的には、仏教寺院に墓地があるクリスチャンの「離檀の話し合いや手続きの円滑化」が求められます。また、キリストへの信仰を理由として近隣の神社仏閣の行事への不参加や遷宮・修繕費用などの費用負担の拒否を積極的に認める、など一神教徒への積極的な配慮がなければ、カトリック者、キリスト者がその教えの基礎を守れないことを日本政府と社会が深く理解し、実行に移す基盤造りを推進して下さるよう強く願う次第です。

一神教徒への配慮は、イスラム教への転向者、ユダヤ教徒の配偶者となった方などにも同様に行われるべきでしょう。


ネットなどで「キリスト教は、日本の文化に合わない」「どうせ信者数は増えない」等、未だ消極的ではあっても、差別的な記事を見かける現状では、キリスト者への偏見を助長するだけで、宗教的な差別解消にはつながらず、信徒も増えません。

また、「カトリック教会はGHQや対米隷属の牙城だ」という誤解も根強く残っているようです。

GHQ、米国政府のカトリック中央協議会への影響は、日本の全ての教区の司教、大司教が日本人になり、バチカンとの一致を自立して保つようになってからは、一部の「対米従属で利権や権益と関わり合いのある平信徒の気持ちの中にある何か」以外では、ほぼ消えました。

戦後のどさくさの中にあった「混血孤児の施設養育問題」などに関わったカナダ、米国系の宣教会も、東京オリンピック前後ぐらいには、欧州からの宣教会、または同系列の宣教者とバトンタッチするカタチで、多くは引き揚げました。


↓往時のファチマの聖母少年の家(大和市HPからお借りしました。)

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有名なのは、白人、黒人との混血男子孤児を引き取った、「ファチマの聖母少年の家」です。12歳までは女子修道会の養護施設で育てたものの、修道会の会則により、12歳以上の男子は女子修道会経営の施設で養育することが出来ません。


そこで、神奈川県の米軍厚木基地および座間基地の近くに学齢期の混血少年養育施設としてファチマの聖母少年の家、通称ボーイズタウンが1955年に造られました。

近隣小教区とアクセスのあった熱心な米国人信徒の協力もあり、多くの混血少年は米国人家庭の養子として渡米、1971年に少年の家に在籍していたのは日本人孤児だけになりました。「日本人孤児の養育は地元自治体に任せるべき」という判断で、少年の家は弘大な敷地もろともその殆どを所属自治体に売却し、養育施設は公立となり、当時の宣教会は日本から撤退しました。

日米安全保障条約締結後だからこそ、カナダ、米国系修道会は、そのまま日本にいれば日米両国政府に政治利用される可能性が高い、と警戒していたのでしょう。

それほどまで教会内部では警戒し、用意周到に日米同盟以降の時代に備えても、外部からの眼差しは厳しいものです。


戦前、戦中、戦後のカトリック教会外部からの眼差しの厳しさは、先ごろスコセッシ監督が映画化した遠藤周作氏の代表作である《沈黙》などにもよく現れています。

そんな中で、第二バチカン公会議による教会刷新がありました。

1970年代の平信徒が共に集うエキュメニカル運動の初めの始まり頃に、プロテスタント教会の日曜学校に通っていたしぇるりんには、衝撃的な出会いでした。何せ、「カトリック教会のシスター」をプロ・カト日曜学校合同運動会で遠目に見たのが、しぇるりんとカトリック教会との最初の出会いだったのですから!

教会の規模が小さく、人数が少な過ぎることと、カトリックの霊性が戦国時代から石もて追われつも確固たる日本文化としてたましいに深く根付いたという経緯があり、他の宣教地とはだいぶ違う教会改革となりました。

まず、最初に揚げられるのは詩篇やイザヤ書などをグレゴリオ聖歌調で歌う《典礼聖歌集》の作製です。

未だラテン語など第二バチカン公会議以前の聖歌が残っている国もあるようですが、多くの宣教国では、プロテスタント教会の賛美歌と歌詞は違うが、旋律はプロ・カトあまり違いはない国が多いようです。

多くは現代音楽としてのフォークソングにそれぞれの国や地域の伝統音楽の旋律を取り入れた「カトリック聖歌集」、または「カトリックの流行歌」の中から教えに合うものを選んで用いているようです。

その点、詩篇のみ言葉をそのまま歌詞にして歌う典礼聖歌は日本独特のやり方で、カトリック教会の教えを賛歌としたもの、と言えましょう。

主日ごとに歌ミサで答唱詩篇やアレルヤ唱を日本語で歌うのは、日本独自のミサのあり方です。

また、先の大戦の間、大政翼賛会の組織の末端として「天主公教会」が初めて日本で法人認可を受け、プロテスタント諸宗派の方々と教えや儀式の違いを乗り越え、話し合う機会に恵まれたことが、第二バチカン公会議後の聖書週間やエキュメニカル運動に大きな影響を及ぼします。

第二バチカン公会議以降にカト・プロが共有する《新共同訳 旧約・新約聖書》翻訳につながったのは、ひとえに戦前、戦中に犠牲になられた方々の祈りの賜物であり、主のみ恵みと言えましょう。

旧約聖書のカト・プロの違いを「続編つき聖書の発行」というカタチで「折衷」したものが、現在もカトリック教会、日本基督教団公認の各教会で使用されている、日本聖書協会発行の《新共同訳 旧約聖書・新約聖書》です。

戦前、戦中、戦後の苦難の中にも、教会刷新と主キリストとの霊的なつながりを重んじる教会共同体の歩みは、今も前へ前へと進んでいるのです。

先日のブログにもちょっと書きましたが、日本の戦後レジームの本質は、「神国日本という思い込み」を全ての神社神道、講仲間(富士講など)に無理やり当てはめ、廃仏毀釈、キリスト教、新宗教諸宗派の弾劾などを相次いで行ったことにあります。

また、政府公認の「御真影」、「教育勅語」などの政治色の強い意向を「臣民」に刷り込み、「アイツが悪いんだ!」と政府が仕立てた悪役を憎むよう政策的に仕向けたことが、結果として日本文化の衰退を招きました。

また、政治的に天皇を一神教的な神に祀り上げ、政治利用のため、現在のISまがいのやり方で国民に押し付けた結果、戦前には素朴に個人それぞれの信仰や慣習、人の情けに生きた人々は戦後に信仰や文化のルーツを失っただけでなく、義理も情も涙も枯れ果て、「たましいにおける愛の死」から来る根強い人間不信と無関心が支配するようになりました。

「愛の死」による、言葉にあらわしきれない「人間不信と無関心」こそ、21世紀の私たちがキリスト者として克服すべき戦後レジームの課題だとしぇるりんは思うのです。

確かに、戦前の日本人の考える「愛」は、情やその場の雰囲気に流されやすいパピーラブ(子犬を可愛がるような幼い子どものような愛情)、「性愛」、「情愛」の側面が強く、その場の雰囲気に流され易すい側面が否めなかったです。

それでも、全くの無関心や人間不信より、愛があり、子どもっぽいようにすら思える意地があるだけ21世紀よりマシだったとしぇるりんは思います。


21世紀には、性欲ですら「性愛欲求」から切り離され、「食欲を満たすのと同じように性欲という欲望を満たすだけの暴力的な行為」になりかけています。

これは、「いつかネコを飼いたい」と言い続けるだけで、ネコカフェに行って生きているネコを抱くことすら忌避する「無関心、無感動の人」より、よっぽどタチの悪い無関心と言えましょう。

お互いを人間同士として見ることが出来ない無関心、人間を利権や利益の対象にしか見られない無関心、人間らしい気持ちを自分自身に対して持てない無関心がそこにはあるからです。

主なる神さま、聖ヨセフの執りなしを求めて祈ります。私たちが自分が自分に無関心で無感動な状態にあってなお、愛といつくしみの源である御子イエス・キリストがいつも、わたしたちそれぞれの閉ざした心の扉を叩き続けておられることを、全ての民に知らしめてください。全ての人が、聖霊の交わりの中で神を愛し、人を愛する心のぬくもりを取り戻すことができますように、アーメン。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

モルモン教、ものみの塔(エホバの証人)、世界基督教統一神霊協会(統一教)、新天地イエスの証の幕屋聖殿、Apostolic Catholic Church(カトリック使徒教会)はキリスト教ではありません。「カルト宗教」です。ご注意下さい。

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