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2017年6月13日 (火)

戦前「教会秘話」:大島事件から21世紀を読み解く

お元気ですか。しぇるりんです。(^ ^)

昨今の日本の社会情勢は、戦前回帰を思わせる暗い雰囲気を漂わせています。

カトリック教会も他の団体とともに戦前、治安維持法などによる弾圧を受けました。

その前兆は、現在国会で審議されている共謀罪と類似の法律であった「治安維持法」制定以前から、煽る「空気」の中にも垣間見られたようです。

カトリック教会の場合、「弾圧っぽい空気」の始まりは奄美列島からでした。

↓カトリック大笠利教会(奄美大島観光協会HPよりお借りしました。)

20140201152635 奄美大島で宣教活動が始まったのは、当時、奄美大島の名士らにパリ宣教会が学校設立を仮承諾した明治24年(1987年)頃でした。それまでの奄美大島は儒教と伝統宗教のユタ、ノロを主とし、日本の仏教の影響は及んでいない地域です。

宗教としての儒教やユタ、ノロなどのシャマニズムは、相当額の祭祀費用と「お膳の足が折れるほどのごちそう」の準備、それに伴う主婦や女性らの重労働が要求されます。

儒教色の強い地域では、元々キリスト教に入信する動機として「お金やごちそうより、信仰心や祈りなどカタチないものを重んじてくれるから」「重労働と祭祀費用の経済的負担より、真のたましいの安らぎと真理を求めて」というケースが多いように思えます。

往時の奄美大島では、島の名産品である大島紬も黒砂糖も売買の権限は本土の商人に牛耳られており、本土の政府による「人種差別」「つくられた経済格差」に多くの島民が苦しんでいました。

当時の島の方言は沖縄のウチナー口と似た方言で、本土ではほとんど通じなかったようです。本土で言葉が通じなかったため、明治初頭に起きた島の黒砂糖自由売買運動に失敗したことが宣教師の招聘につながりました。

島全体への日本語普及と教育水準向上が必要と考えた地元の名士らは、五島で働くパリ宣教会の司祭を招聘しました。


キリスト教に対する反感がない地域だったため、カトリック教会の教えは急速に広がり、明治後半に奄美大島は鹿児島教区最大のカトリック地域になっていました。

激動する時代、変わりゆく文化は、激しい村落共同体の内部対立を何回も引き起こしました。大正時代になり、カナダ宣教会が赴任し、大島高女の運営を引き受けたことが「大島事件」の発端となりました。

宣教師は「南方要害の地、奄美大島にスパイとして送り込まれたのではないか?」の嫌疑をかけられたのです。

当時の様子は、昨今の中国、北朝鮮情勢に関する日本のテレビ新聞による、過剰な報道口勢にとてもよく似ています。


当時、奄美大島がどこにあるかも分からない人々が読む全国紙に、「南の要塞の島で広大な土地を米英の宣教師が買い占めしている」「外国人宣教師はスパイか」「教育勅語に不敬罪か」などの文字が、政権側への疑いの目を逸らさせ、「みんなのスケープゴート」を造り出すため、過剰なまでに掲載されました。

やむなくカトリック教会では、時勢を鑑み、奄美大島から全ての外国宣教会、宣教師が引き上げました。その後、天主公教会(現カトリック中央協議会)などから日本人司祭の司牧的訪問を重ねて打診しましたが、軍部は難色を示し続けました。

その結果、奄美大島は戦前最大のクリスチャン受難の地となったのです。

昭和9年(1934年)に外国人宣教会、宣教師が全員引き上げた後も、日本陸軍の教唆によるカトリック信徒への弾圧は第二次世界大戦が激化し、食糧事情が劣悪化するまで続きました。

その弾圧方法は、姑息です。現代でいう「講演会」「名士の啓発講座」の名目で、「全ての村人にキリスト教徒であることを止めさせれば、あなたも日本人になれる!」とやったわけです。

20世紀の民族自決主義は「不当な被支配から政治的、経済的な独立を勝ち取る」という具体的な目的でした。

大正時代の奄美大島に住む小学生の夢は「日本人になりたい」だったと言われています。

キリスト教徒弾圧に積極的に参加すれば「日本人になれる=民族自決権を勝ち取れる」と考えた奄美大島の方々がいたため、中央政府の巧妙な分断統治に巻き込まれていったのです。

その点、「私が何となく誰だか分からない=アイデンティティーの不安」から解放するのが「民族主義」「愛国心」「排外主義」だと感じられている21世紀とは違います。

「わたし」を見出すのは、他ならぬ「わたし」自身です。

誰かが「わたし」の虚像をCGや演出術でどれほど巧妙に創っても、「わたし」自身を本質的に変えることは、主なる神と「わたし」の意思によらなければ、他の誰にも出来はしないのです。

日本における20世紀のキリスト教徒への弾圧は、物理的で親密な人間関係の中で、外国、地域、村、島の外の世界の情報が殆ど皆無だった密室で起きました。

21世紀のアイデンティティーの不安に由来する「極右主義」的な人々は、SNSや2ちゃんねるなどでの偏った情報を真実と思い込みやすい状態にあって「外の情報に心を開けない一時的な状態」にある人々、および「狂信的に外の情報を排除しなければ決定的にプライドが傷つけられると感じる人々」から成り立っています。

戦前に物理的な暴力によるキリスト教徒弾圧に遭った人々は、物理的に生きるいのちをかけて信仰を守り通しました。

戦前にいのちを捧げた人々の聖母マリアの取り成しを通じて捧げる祈りを通じて、わたし達の今の信仰もまた、未来に向かって開かれています。

「実は自分自身の内面が薄らぼんやりとした霞がかかったようにどんよりとした不安に苛まれている」状態から「逃走」し続けなければならないと思い込んでいる家族などがいて、日本のキリスト者の真摯さに向き合うことを「何となく避けられている」ことに苦悩するキリスト者は、21世紀の日本に大勢いると思われます。

20世紀にキリスト教に反感を持つ日本人は、率直に言葉で怒りを示し、本気でぶつかって来ました。キリスト者もまた、真剣に反論したものです。

21世紀に「何となく自分の心を閉ざし、自己同一性不安に怯えている」だけの人は、言葉で怒ることもできず、「言葉にしたら自分の心の扉が壊れてしまうのではないか?」と怯えているように思えます。

これは、自縄自縛の負の連鎖を招きます。ヒトに心を開かなければ、誰であれ人間は心から信頼し合えません。が、「もしも心の扉を開いたら、自分の心は壊れてしまうのではないか?」「こころの扉を誰かが開けようとしたら、自分はこの世界を破滅に追い込むのではないか。」と言ういわれなき不安を感じている人が多いのです。

実際のところ、こころの扉を開くと、自分が受け入れがたいと感じていた「身もふたもない真実」の中で必死になって生きる相手と自分の姿が、隔たれた所にいる現実をかいま見てしまいます。

「真実」は、芸術や音楽、テレビドラマや映画、小説、ゲーム、アニメなどのエンターテイメント、嗜好品やセックスへの嗜好や依存など、自分なりの才能と思い入れで描いて来た夢まぼろしの世界の崩壊、変容をもたらす「敵意ある存在」として嫌うよう、現代人は意図的に誘導されているのです。

「真実」を語るのは、何もカトリックの教えだけではありません。真実の報道、思想信条を問わず人として「まっとうであること」を示す全ての思い、言葉、行いもまた「真実」の現れです。

真心をもって誰かを好きになること、嫌いになることも「真実」の表現と言えるでしょう。

カトリック信徒もまた、真実であろうとすればするほど、「まっとうであること」に対する拒絶反応を示す人々から煙たがられ、避けられることが増えるのかも知れません。

そんな21世紀に父なる神からいただいた今のいのちを、感謝のうちに主のまことを示して、生きることが大切なのだとしぇるりんは思います。

幸せとは、衣食住に恵まれ、ただ平穏無事な人生を送れることではないでしょう。たった一瞬でも「生きていてよかった」「生まれてよかった」「あなたに出会えてよかった」と心から思えるなら、それが幸せの始まりです。

わたしも以前は、ずっと絶望寸前のいのちを生きていました。21世紀の深く内面的な魂の殺人や絶望などの受難の中で今にも折れそうな人々のために祈りを共に捧げましょう。

参考資料:小坂井澄《悲しみのマリアの島》集英社1984年

     志村辰弥《教会秘話》聖母文庫1991年。

霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)とは、聖書(主に福音書)などを音読し、その中の「ちょっと気になる一句」に心を留めて、祈りのうちに神さまを思い、その一句を通して神さまと語り合うことを指します。ブログ中の聖書の解釈に関する内容は、しぇるりん個人の感想です。聖句そのものと、地理、人間関係などの事実関係は、特別な記載がないものは、日本聖書協会2008年版≪新共同訳 新旧約聖書続編つき≫の解説部分に依拠しています。詳しくは、日本聖書協会発行の≪新共同訳 新約聖書≫≪新共同訳 聖書≫をご参照ください。なお、ミサの朗読福音は、カトリック中央協議会発行の《毎日のミサ》によります。

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